コール・ポーターがジャズ史に残した代表曲・名曲をまとめて紹介します

ニューヨーク ジャズ

コール・ポーターは、アメリカを代表する最も偉大な作曲家の一人です。

ジャズには素敵なメロディーの曲が多くありますが、コール・ポーターの残した曲はスタンダードとしてジャズの代表曲・名曲として多くのレジェンド達に受け継がれています。

コール・ポーターの名曲を知ることによりジャズを聴くのが楽しくなりますよ。

コール・ポーターの経歴

コール・ポーターは、1891年に生まれました。

デューク・エリントンより8つも年上なんですね。

モリタブ
ちょっと意外。おしゃれなメロディーが多いのでてっきりもっと若いと思っていました。

祖父が大富豪でお金には全く不自由のない生活をして6歳からピアノを習い、10歳から作曲をするようになりました。

音楽だけでなく学業も優秀だったようで高校を首席で卒業しイエール大学に進学しました。

大学では既に作曲家として活躍し始めて自分でも音楽の道に進みたいと考えていたようです。

ところが、今まで自分を支えてくれた祖父が法律家になってほしいとの希望があり、それを知ってコール・ポーターは、法律を勉強する為にハーバード大学に入学しています。

しかしながら、音楽への思いを断ち切ることが出来ず改めて音楽の大学に再入学することになり、音楽の道へ進むことになります。

コール・ポーターは若くして売れた訳ではありません

1916年(24歳)コール・ポーターにとって初めてのブロードウェイミュージカル作品の音楽担当になりますが、興行的に失敗。

今まで大富豪の家庭で育ったコール・ポーターにとって人生最大の挫折となりました。

コール・ポーターのパリ時代

もう一度音楽の勉強をしたいと考えたコール・ポーターはパリに移住することにしました。

そこでリンダ・トーマスという同じくアメリカから移住した女性と出会います。

お互い強く惹かれ結婚を意識するようになりますが、ここで大きな問題が。

コール・ポーターは同性愛者だったのです。

しかし、ここで彼は自分が同性愛者ということをリンダに告白し、リンダがそれを受け止めて結婚することとなりました。

コール・ポーターの才能を理解していたリンダは、その後も献身的にビジネスパートナーとして彼をサポートすることになります。

それにしてもこの時代に同性愛者を告白していた人がいることも驚きです。周りでも理解する人も少なく本人も苦しかったと思いますが、それを理解したリンダもすごいです。

そこでリンダの仲介でコール・ポーターを当時大人気の作曲家アーヴァング・バーリンに紹介します。

その紹介が功を奏しコール・ポーターにブロードウェイミュージカルの仕事が紹介され、再びアメリカのショービジネスの世界へ復帰することが出来ました。

コール・ポーター ブロードウェイでの成功

1928年(37歳)「lets Do it」がヒット

1930年(39歳)「Love for sale」を発表

「Love for sale」を発表当初は、歌詞が放送禁止になるなど物議がありましたが、その後大ヒットに繋がりました。

1932年(41歳)「Night and Day」フレッド・アステア が大ヒット

1948年(57歳)ミュージカル「キス・ミー・ケイト」が大ヒットしトニー賞を獲得

コール・ポーターの代表曲の「Love for sale」が彼の最初の大ヒットで、しかも年齢は39歳というから遅咲きのレジェンドですね。

ここからは快進撃が続きます。

コール・ポーターの落馬事故

1937年(46歳)上流階級らしく乗馬を楽しんでいたところ落馬事故を起こして両足骨折の大怪我をします。

医者からは足の切断を勧められましたが、彼にとっては足があることが重要と考え悪いなりに治療に専念します。

この大怪我によりコール・ポーターの音楽活動は大きく失速することになりましたが、それでも1948年(57歳)ミュージカル「キス・ミー・ケイト」が大ヒットしトニー賞を獲得しています。

1954年 リンダ 死去

1958年 足が悪化したことで足を切断

1964年 コール・ポーター 死去

コール・ポーターの特徴

コール・ポーターは、「20世紀を代表する最もアメリカ的な作曲家」と呼ばれています。

彼こそ「Mr.アメリカン・メロディー」と呼ぶにふさわしい作曲家なのです。

ひと言で言うと「おしゃれ」「洗練」です。

年代的にはデューク・エリントンより8つ年上ですが、その年代を感じさせないメロディーが印象的です。

コール・ポーターは作曲・作詞をします

当時の作曲家は、作曲のみの人が多かったのですが、コール・ポーターはほとんどの曲の作詞も手掛けています。

一人で両方やるので曲と詞が上手く一体化して、メロディーを聴いただけで詞も口ずさむことが出来るほどです。

コール・ポーターは同性愛者

同性愛者は、芸術面に秀でた人が多いと聞きますが、コール・ポーターもその一人でした。

歌詞を書くうえで同性愛者ならではのクールでプラトニックな詞を書けるということが強みになっていました。

しかしながら、1900年初めの話です。

調べた中でも彼のことを批判している記事はなかったものの、当時は同性愛について理解されなかった辛さは想像できます。

代表曲1 I Love You

「I Love You」は、コール・ポーターがミュージカルの為に書いた曲です。

もとは、歌ものでビング・クロスビーが歌っていましたが今ではスタンダードとしておおくの人が演奏しています。

代表曲2 So in Love

「So in Love 」は、1948年、ミュージカル『キス・ミー・ケイト』の劇中歌として作曲された曲です。

エラ・フィッツジェラルドの歌を紹介します。

代表曲3 Love For Sale

「Love For Sale」は、1930年12月8日にブロードウェイで初演されたミュージカル『ザ・ニューヨーカーズ(英語版)』で使用された曲です。

『ラブ・フォー・セール』も娼婦の視点となっており売春を肯定的にあつかっていて公序良俗に反するとラジオで放送することが禁止されたが、返って話題となり大ヒットと繋がりました。

代表曲4 ナイト アンド デイ

「ナイト アンド デイ」は、1932年のミュージカル『陽気な離婚』のために書きおろされた曲です。『陽気な離婚』は、タップダンスのフレッド・アステア初演のミュージカルとしても有名でした。

コール・ポーターの曲を好んで弾いていたオスカー・ピーターソンの演奏を紹介します。

代表曲5 You’d Be So Nice To Come Home To

「You’d Be So Nice To Come Home To」と言えば、ヘレン・メリルしかありません。

ただ、もとは1942年に発表された映画 『Something to shout about』の挿入歌で、映画ではジャネット・ブレアとドン・アメチーが歌っています。

代表曲6 ビギン・ザ・ビギン

結構古い曲ですが、日本ではフリオ・イグレシアスが歌っているのを聴いて私は覚えました。

冒頭の2拍3連のメロディーが印象的です。

代表曲7 What Is This Thing Called Love

「What Is This Thing Called Love 」は、1929年、ミュージカル『ウェイク・アップ・アンド・ドリーム』のために作曲した曲です。

コール・ポーター作曲の中でも最も多くの人に演奏されている曲のひとつになります。

日本のジャズのセッションでもよく演奏されていますね。

代表曲8 All Of You

「オール・オブ・ユー」(All of You)は、1954年にミュージカル映画『絹の靴下』で取り上げられたコール・ポーター作曲のポピュラー・ソング。

誰の「All Of You」を紹介しようか迷いましたが、一番聴きやすいフランク・シナトラで紹介します。

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