ジョージ・ガーシュウィンは、作曲家としてジャズ史に多くの代表曲・名曲を残しました。
この記事では、誰にでも分かるように5分でジョージ・ガーシュインについて理解出来るように書いています。
ガーシュインの経歴から代表曲・名曲を知ってジャズについてもっと楽しんでもらえたらと思います。
目次
ジョージ・ガーシュインの経歴
ジョージ・ガーシュインは、1898年ニューヨークのブルックリン地区に生まれました。
ちなみにデューク・エリントンより1つ年上になります。
ガーシュインの父親は、ロシアからやってきたユダヤ系移民です。実は、当時のアメリカの音楽業界にはユダヤ系の人が多くいました。
音楽好きだったガーシュインの父親は、ガーシュインの兄のアイラの為にピアノを買い与えますが、アイラは音楽に興味を持たず、弟のガーシュインが12歳ころから音楽に興味を持ってピアノを始めることとなりました。
実は、ガーシュインは以前からピアノには興味と持っており、友人の家のピアノで遊んでいたことから、独学でピアノを弾けるようになっていたとか。
ガーシュインは、14歳頃から正規の音楽教育を受けるようになり、やはり音楽の才能があり、15歳になるとプロを目指して高校を中退することになります。

ガーシュインがやった音楽の仕事とは、ソング・プラガー(楽譜宣伝ピアニスト)としてティン・パン・アレーの楽譜出版社で働くことでした。
この頃、ガーシュインはラグタイムにも興味を持っています。
ソング・プラガーという仕事は、初めて手にする譜面を見て演奏することですから、日ごとにピアノの腕前は上達しました。
ガーシュインは、このティン・パン・アレー時代に音楽に関する職業的な知識や演奏の技巧など多くのものを吸収しました。

「スワニー」発表 1919年(21歳)
ガーシュインの最初のヒット曲が「スワニー」です。そこで、一気に有名になりました。
1920年代になり、兄のアイラが作詞家として加わり、ガーシュインは多くのスタンダードナンバーを残すことになります。
「ラプソディ・イン・ブルー」発表 1924年(26歳)
ガーシュインがクラシックとジャズを融合させた有名な曲ですね。
当時のジャーナリストがシンフォニック・ジャズと名付けています。
また、当時ガーシュインは、管弦楽法は初めての為、編曲はグローフェの協力を得て「ラプソディ・イン・ブルー」を完成させています。
「ポーギーとベス」発表 1935年(36歳)
ガーシュインの死の2年前に発表されたフォークオペラ。
アメリカ南部の町に住む貧しいアフリカ系アメリカ人の生活を描いており、一部の白人を除き全て黒人が出演しています。
この劇中に演奏される「サマータイム」が大ヒットしジャズのスタンダード曲として有名になっています。
ジョージ・ガーシュイン死去 1937年(38歳)
ガーシュインは、1937年39歳にして脳腫瘍が原因でこの世を去りました。
あまりにも短い一生でしたが、短い人生で多くの音楽を残してくれました。

ジョージ・ガーシュウィンのエピソード
既に音楽家として有名になり富を手にしたガーシュインでしたが、オーケストレーションを学びたいとモーリス・ラヴェルの元に訪れました。
モーリス・ラヴェルは、「ボレロ」の作曲者として有名で当時クラシックの世界では確固たる地位を確率していた人です。
そこで、ガーシュインは、ラヴェルから「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と言われたとのエピソードが残っています。
さらにラヴェルはナディア・ブーランジェへの紹介状を書いたが、彼女は「ガーシュウィンには生まれながらの音楽的才能があり、その邪魔をしたくない」と弟子とすることを断ったと言われています。
ナディア・ブーランジェは、フランスの音楽家・教育者(大学教授)で20世紀の最も重要な作曲家や演奏家の数々を世に送り出した音楽家です。
既にジャズの世界で大成功しているガーシュインにクラシックの大御所と言えども何も教えることはなかったのでしょう。

ジョージ・ガーシュインの名言
「ふつうの気分のときに、旋律が私の指からしたたり落ちてくる」
「やりたいことが多すぎる」
「失敗している暇はない」
「音楽が僕の生きている証」
代表曲1 スワニー
1919年に作曲した歌曲で、発表当初はヒットしなかったものの、翌年になってアル・ジョルソンが自身のショー「シンバッド」に取り入れてから人気を出るようになった曲。
ラグタイム色の強い綺麗な曲ですね。
代表曲2 The Man I Love
少しジャズを聴いたことある人なら誰でも聴いたことあると思います。
ほとんどの有名ボーカリストが録音しているスタンダードバラードですね。
代表曲3 But Not For Me
今ではジャズのスタンダード曲として有名ですが、もとはミュージカル「Girl Crazy」のために書かれた曲。
街のセッションに行くと必ず演奏される曲のひとつです。
代表曲4 I Got Rhythm(アイ・ガット・リズム)
ガーシュインの代表曲はたくさんありますが、この曲を紹介しない訳にはいきません。
「アイ・ガット・リズム」は、いわゆるAABAフォームで構成されており、その独特のコード進行は後に「リズムチェンジ」と呼ばれ、現在でもジャズの基礎的なコードとなっています。
代表曲5 ラプソディ・イン・ブルー
ジョージ・ガーシュインが作曲したいわゆるシンフォニック・ジャズの象徴。
このメロディーも一回聞けば忘れることが出来ないメロディーですね。
シンフォニック・ジャズと言うくらいなので他にもたくさんあるのかと思いきや、意外にもそれほど多くないので、やはり「ラプソディ・イン・ブルー」は独特な曲です。
代表曲6 パリのアメリカ人
ガーシュウィンが作曲した交響詩で「ラプソディ・イン・ブルー」に次いで有名なシンフォニック・ジャズの器楽曲です。
代表曲7 ス・ワンダフル
「ス・ワンダフル」は、ガーシュウィン兄弟により書かれたポピュラーソングです。
ブロードウェイ・ミュージカル「ファニー・フェイス」のために兄弟が書き下ろし、フレッド・アステアが初演しています。
今では女性ボーカリストがボサノバで歌う印象が強いです。
代表曲8 サマータイム
サマータイムは、もとはオペラ「ポーギーとベス」で歌われた曲です。
今ではジャズのスタンダートにとどまらずファンク、ロックなどアレンジとしてはさまざまな演奏があります。
これからも「サマータイム」は、多くの人に歌い継がれる曲にあるでしょう。