ハンク・モブレーの経歴と代表曲!玄人絶賛のテナー・サックス奏者をさくっと紹介します。

ハンク・モブレー ジャズ

ハンク・モブレーは、アメリカ出身のテナー・サックス奏者、作曲家です。

「テナー・サクスフォーンのミドル級チャンピオン」と呼ばれ地味な印象ながら玄人からの評価の高いサックス奏者として有名です。

この記事では、ジャズ初心者向けにハンク・モブレーの経歴と代表曲を分かりやすく紹介します。

ハンク・モブレーの経歴

ハンク・モブレーは、1930年生まれアメリカのジョージア州で生まれニュージャージー州で育ったテナー・サックス奏者です。(マイルス・デイヴィスの4歳年下)

音楽一家で幼少の頃からピアノを習い16歳の時に母親に買ってもらったサックスを独学で練習し19歳から音楽活動を始めます。

1951年(21歳)頃にはマックス・ローチのグループに参加。

1954年(24歳)ディジー・ガレスピーとの演奏で注目され始めます。

また同時期にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに在籍し一流プレイヤーの仲間入りをしました。

その後、ジャズ・メッセンジャーズ時代に一緒だったホレス・シルヴァーと演奏を続けます。

ピンク13

1961年(31歳)マイルス・デイヴィスのバンドに在籍しており、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』に参加しています。

マイルスのバンドを脱退後は、自己のバンド中心に活動をしていますが、自身のアルバムを演奏する際は、アート・ブレイキーと演奏をしています。

バンドリーダーの際は、ブルー・ノート・レーベルから録音を残し『ソウル・ステーション』と『ロール・コール』は、代表曲として有名です。

1986年(56歳)肺炎により死去。

ハンク・モブレーの特徴

ハンク・モブレーは、テナー・サックス奏者として超一流のミュージシャンです。

個性派ぞろいのテナー・サックス奏者の中、残念ながら「テナー・サクスフォーンのミドル級チャンピオン」と呼ばれて、皮肉交じりにディスられているように聞こえます。

それでもジャズ・テナー・サックス奏者のランキングでは、ほとんど10位前後に入っている実力派です。

その評価の原因のひとつになっているのが、マイルス・デイヴィスのリーダーアルバムに録音されている「Someday My Prince Will Come」と言われています。

前半にハンク・モブレーがアドリブを、後半はジョン・コルトレーンが例の怒涛のような演奏をしており、インパクト的にはコルトレーンの方があります。

もちろんお互い超一流の演奏ですから、人それぞれの好みもありますので、ハンク・モブレーのメロディアスなアドリブが好みという人もいると思いますが、ちょっと相手が悪かったのかもしれません。

ピンク11

また、ハンク・モブレーと深く関わったミュージシャンとしては、アート・ブレイキーがあげられます。

ハンク・モブレーが、ジャズ・メッセンジャーズを脱退以降も一緒に演奏しており、モブレーの代表アルバムにもよく参加しています。

ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、リーモーガンなど相性のようミュージシャンも超一流ばかりです。

テナー・サックスは、モダン・ジャズでは花形楽器ですが、その中では多少インパクトに欠けたのかもしれませんが、端正なアドリブでジャズらしいジャズを演奏するテナー・サックス奏者として玄人からも評価の高いミュージシャンです。

生涯ハード・バップを演奏していますのでどれを聴いても心地のいいジャズを聴くことができます。

ハンク・モブレーは、ジャズ初心者の方に是非聴いてほしいミュージシャンの一人です。

代表曲1 Soul Station

代表曲2 Recado Bossa Nova 「Dippin」

代表曲3 Workout

代表曲4 Roll Call

代表曲5 Someday My Prince Will Come

ハンク・モブレーと後半はジョン・コルトレーンの演奏も聴くことができます。

代表曲6 There Will Never Be Another You

代表曲7 Peckin’ Time

代表曲8 Hipsippy Blues

代表曲9 Summertime

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