デイヴ・ブルーベックは、カリフォルニア生まれのジャズ・ピアニストです。
特に『テイクファイヴ』で有名で、現在ではジャズでは最も有名な曲と言っても過言ではありません。
実は『テイクファイヴ』の作曲者は、ポール・デズモンドという、それほど有名ではないサックス奏者です。
この記事では、デイヴ・ブルーベックの経歴から特徴をジャズ初心者に分かりやすく紹介します。
目次
デイヴ・ブルーベックの経歴
デイヴ・ブルーベックは、1920年カリフォルニア州で生まれたジャズ・ピアニストです。(マイルス・デイヴィスより6歳年上)
ブルーベックの家にはラジオもなく数少ないレコードで音楽に触れあう程度でしたが、母親が音楽好きだったことから早くからピアノを習い、子供の頃から人前で演奏していたと言われています。
大学に入学すると本格的に作曲法などクラシック音楽をダリウス・ミヨーから学びました。
大学での勉強が、後のブルーベックの音楽に大きな影響を与えることになります。
1942年(22歳)デイヴ・ブルーベックは軍隊に召集されますが、戦争が終わりアメリカに帰還して再度ジャズを学び、大学バンドでありながらプロとして活躍し注目を集めるようになります。

当時は、ウェストコースト・ジャズのブームもあって、ここからデイヴ・ブルーベックの快進撃が始まります。
1959年(39歳)デイヴ・ブルーベック・カルテットがアルバム「タイム・アウト」に
『テイクファイヴ』を収め、大ヒットし今日ジャズのスタンダード曲として多くの人が知る
曲となりました。
「タイム・アウト」はジャズ史上初めて100万枚を超えるヒットになりました。
ポール・デズモンド
『テイクファイヴ』と言えば、デイヴ・ブルーベックの名前が上がりますが、実はこの曲を作曲したのは、ポール・デズモンドというサックス奏者でした。
ブルーベックも作曲法を大学で勉強し、前衛的なクラシックもよく理解し変拍子の曲も多く作っていました。

「タイム・アウト」ではポール・デズモンドに5拍子の曲を作るように依頼し、それ以外の曲はブルーベックが作曲しています。
『テイクファイヴ』はポール・デズモンドが作曲していますが、デイヴ・ブルーベックたいたからこそ生まれた曲と言えますね。
『テイクファイヴ』以降のデイヴ・ブルーベック
ジャズ史に残る世界的大ヒットで人気を獲得したブルーベックは、その後はクラシックのオーケストラの共演やバレエ曲を発表するなど、ジャズ意外のフィールドで活躍をつづけました。
他のミュージシャンが、モダン・ジャズ以降にフュージョンやロック系に走るところクラシックに方向転換するところがユニークですね。
2012年12月 91歳まで生きて亡くなりました。
デイヴ・ブルーベックの特徴
「テイクファイヴ」はジャズ史の中で最も有名な曲と言えるでしょう。
ただ日本のジャズファンには、デイヴ・ブルーベックはそれほど人気があるミュージシャンではありません。もう少し正確に言うと人気に偏りがあります。
少し調べてみるとジャズファンの中には「デイヴ・ブルーベックはスウィングしない」と評価していない人も多かったとか。
確かに私の周りのジャズ好きの人の中にもデイヴ・ブルーベックファンは、ほとんどいないです。
今回改めてデイヴ・ブルーベックを聴いてみると、この人は、ただ者ではありません。

アルバム「タイム・アウト」の『テイクファイヴ』は、ポール・デズモンドが作曲していますが、他のブルーベックが作曲した曲も変拍子あり独特のメロディーあり、オリジナリティー満載です。
特に1曲目の「トルコ風ブルー・ロンド」は刺激的な曲です。
9拍のリズムらしいですが、9拍で数えるのは大変です。
この場合、何度もメロディーを聴いてメロディーで覚えるのが早いですね。
もう一度言います。この曲を9拍で数えるのは難しいです。
ノリを大事にするジャズファンには、変拍子の曲はのりづらいのかもしれません。
私も嫌いではないですが、変拍子の曲は聴いていて疲れます。

p デイヴ・ブルーベック
as ポール・デズモンド
ds ジョー・モレロ
b ユージン・ライト
ジャズをめったに聴かない人にジャズの話をすると(最近は、ほとんどないですけど)
「ジャズってテイクファイヴがジャズですよね」と返ってくることがあります。
間違いではないのですが、確かにテイクファイヴは、ジャズなのですが、なんか違うかなと思いながら訂正するほどでもないので、「そうですね」と答えてしまいます。
日本のジャズファンにはそれほど評価されていないデイヴ・ブルーベックですが、ジャズ評論家には、かなり評価している人もいます。
おそらく好きなものは好きと言えるようになったら、ジャズは初心者を抜け出せるのだと思います。