スコット・ラファロは、アメリカ出身のジャズ・ベーシストです。
ビル・エヴァンス・トリオの一員として革新的なプレースタイルでモダン・ジャズの世界に革命をもたらしました。
人気絶頂期に交通事故で突然命を落としました。
そんなスコット・ラファロの経歴と代表曲をジャズ初心者に分かりやすくサクサクと紹介していきます。
目次
スコット・ラファロの経歴
スコット・ラファロは、1936年アメリカのニュージャージー州に生まれました。(マイルス・デイヴィスの10歳年下)
小学生の頃から音楽に興味を持ちピアノ、中学生でバスクラリネット、高校でテナー・サックスを始め、管楽器が必須だったため18歳からベースを始め、それがベーシストになるきっかけになります。
1955年(19歳)音楽を勉強する為に入った大学でしたが、2年目にビックバンドに加入する為に大学を中退します。
ビックバンドはその後去り、その頃から若手ベーシストの中でも少し名前を知られるようになります。
その後は、当時第一線で活躍していたチェット・ベイカー、ベニー・グッドマンらと共演して実力をつけていきます。
1959年(23歳)ビル・エヴァンスと活動を始めます。
当時ビル・エヴァンスはマイルス・デイヴィスと共にモダン・ジャズの象徴ともいえる『カインド・オブ・ブルー』に参加していますが、このアルバムをリリース後にマイルスのバンドを脱退しています。
そのビル・エヴァンスとドラムのポール・モチアンとのトリオでスコット・ラファロが輝きます。
今までのピアノ・トリオでは、ドラムとベースはリズム隊に徹して演奏していたところをビル・エヴァンスのトリオでは、ドラムもベースも歌うようにピアノと対等に演奏するスタイルを作り上げました。
ビル・エヴァンスとの活動を中心にしながらジョン・ルイスやフリー・ジャズで有名なオーネット・コールマンとも共演しアルバムをリリースしています。
1961年6月(25歳)ビル・エヴァンス・トリオでニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードでライブを行いました。
そのライブの最終日の演奏は、「Sunday at the Village Vanguard」 「 Waltz for Debby」の2名のアルバムに残されています。
同年7月、スコット・ラファロはスタン・ゲッツに同行してニューポート・ジャズ・フェスティバルで演奏し、その演奏の4日後に交通事故によって25歳の短い人生の幕を下ろしました。
(ウィキペデアより引用)
スコット・ラファロの特徴
スコット・ラファロは、ビル・エヴァンスとともにモダン・ジャズにおいて革命を起こしたベーシストです。
筆者は、ジャズ初心者の頃にビル・エヴァンスは聴いた方がいいという周りの意見からビル・エヴァンスを聴きましたが、ハッキリ言ってピンときませんでした。
その原因は、録音状態があまり良くないことと、エヴァンスの演奏にメリハリがないことと思っていました。
その後、よく聴いてみるとビル・エヴァンス・トリオのピアノとベースとドラムがそれぞれ歌うように絡む音楽が、当時の僕には理解できなかったのだと思います。
実は、今でもすごく理解している訳ではないですが。。
昔、筆者は、ブルースのバンドでキーボードをしたことがありましたが、当時のリーダーがモダン・ジャズのベースのハッキリしないところを嫌がっていました。
ジャズ意外の曲では、小節の頭のベース音は、そのコードのルート音を弾くことが多いようですが、ジャズは、3番目や5番目の音を弾くこともあります。
具体的に言うとCのコードならルート音は「ド」、3番目は「ミ」、5番目は「ソ」になります。
それをスコット・ラファロはピアノの演奏を聴きながら別の旋律としてベースでも演奏しています。
これは、やはり分かる人にしか分からない音楽ですよね。
ジャズ初心者なら分からなくて当然かもしれません。
しかし、スコット・ラファロのセンスは抜群です。
ベースを始めて2年足らずで世界トップレベルになり、活動期間5年間でジャズ史に名前を残すベーシストになりました。
歴史に「たられば」を言ってもしょうがないことは、よく分かっていますが、スコット・ラファロがもう少し生きていたらジャズの歴史やビル・エヴァンスの人生も変わっていたと思います。
ジャズ初心者には、正直いってそれほどおすすめできるミュージシャンではありませんが、ビル・エヴァンスを語る時には必ず出てくる名前ですし、ジャズ・ベースを語る時にも必ず出てくる名前ですので、一度聴いた方がいいのかもしれません。