ビル・エヴァンスの経歴・代表曲!ピアノトリオの歴史を変えたレジェンドを分かりやすく紹介します!

ジャズ

ビル・エヴァンスは、モダン・ジャズのミュージシャンの中でもジャズピアニストらしいピアニストです。

この記事を読むとビル・エヴァンスがモダン・ジャズにおいてどれだけ功績があったら理解できます。

ただ個人的には、ジャズの全く初心者にはビル・エヴァンスは、おすすめではありません。

3000文字程度の文章ですから、それでも興味が少しあったら読んでみてください。モダン・ジャズの世界へようこそ!です。

ビル・エヴァンスの経歴

ビル・エヴァンスは、1929年アメリカのニュージャージー州に生まれました。(マイルス・デイヴィスより3つ下)

父親は、兄と同様にビル・エヴァンスにクラシック音楽を学ばせ、5歳でピアノ、7歳でバイオリンやフルートを習っていました。

10代からジャズに興味を持って高校を卒業すると音楽学校で作曲とクラシックピアノを勉強しています。

大学卒業後の1951年にはアメリカ陸軍から兵役を強いられ、陸軍バンドでの活動の機会があったものの、この時期に生涯付き合うこととなる麻薬常用が始まるなど、あまりいい時代ではなかったでしょう。

1954年(25歳)の兵役終了後、ジャズの中心地であるニューヨークに出て音楽活動を開始します。

当初はサイドマンとしての活動が主でしたが、音楽理論家・作曲家のジョージ・ラッセルから多くを吸収し、後のジャズの主流となる演奏を確立することになります。

当時のジャズ界では、既にマイルス・デイヴィスが名声を得て新たなジャズを生み出そうと活動していましたが、そこにジョージ・ラッセルの紹介でビル・エヴァンスに声をかけ、あの「カインド・オブ・ブルー」を発表しました。(1959年)

「カインド・オブ・ブルー」は、ジャズのアルバムでは最も売れたアルバムで、ビル・エヴァンスが参加したことで完成したと言われています。

このアルバムでは、コード進行に問わらわれずモードに根ざした前衛的な響きを重視し、その後のジャズに多大な影響を与えています。

このバンドで一躍名声を得たエヴァンスですが、マイルスのバンドから1年半ほどで脱退し自分がリーダーとして新たな道を進むことになります。

ビル・エヴァンスは、ドラムにポール・モチアン、ベースにスコット・ラファロを迎えピアノトリオを結成します。

このトリオでは、お互いの音に反応しながら即興性に富んだインター・プレイが高く評価されます。

ピアノトリオのスタイルは、それ以前も偉大なピアニストが名演奏を残してきましたが、ドラム、ベースが、ピアノと共に干渉しあい、積極的に音楽を創造してきたことが革新的でした。エヴァンス以降のジャズピアニストは、エヴァンスのピアノを聴いて影響を受けていると言っても過言ではありません。

1961年6月 エヴァンスは、このメンバーでヴィレッジ・ヴァンガードにおいてライブ演奏を行い、アルバム「ワルツ・フォー・デビィ」を録音しました。

ベーシスト スコット・ラファロについて

このピアノトリオでは、ベーシストのスコット・ラファロの演奏は高く評価され、今後を期待されていました。ところが、スコット・ラファロは、ヴィレッジ・ヴァンガードの演奏の11日後に25歳の若さで交通事故で亡くなりました。(エヴァンス32歳)

もしもスコット・ラファロが生きていたらジャズ史が変わっていたであろうという人物です。当時のエヴァンスが半年ほど演奏できなかったという話は、想像できます。

リバーサイド四部作

ポール・モチアン、スコット・ラファロと演奏した4つのアルバムを「リバーサイド四部作」と言います。

「ワルツ・フォー・デビィ」

「ポートレイト・イン・ジャズ」

「エクスプロレーションズ」

「サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」

このアルバムを押さえておけば、「ビル・エヴァンス好きなんです」と言っても大丈夫です。

ビル・エヴァンスと薬 そして死

ビル・エヴァンスは生涯薬と付き合っていました。

マイルス・デイヴィスのバンドに入った頃には既に問題となっており、体はむしばまれ、金銭的にも苦しい生活が続いています。

また、長く内縁関係にあったエイレンが、エヴァンスからの別れ話の後自殺しています。

幼い頃、共に音楽をやっていた兄のハリー・エヴァンスも自ら命を絶っています。

スコット・ラファロの死後しばらく時間を置いて活動を始めたエヴァンスですが、メンバーを少しずつ変えながら演奏を続けていきました。

1966年に当時21歳のエディ・ゴメスをベーシストとしてメンバーに迎えます。

1968年にマーティー・モレルがドラマーとしてメンバーに加わります。

演奏スタイルを生涯大きく変えることのなかったビル・エヴァンスは、ゴメス、モレルとのトリオを一番長く続けました。

結局、最後のトリオのメンバーは、ベースのマーク・ジョンソン、ドラムのジョー・ラバーバラになりました。

1970年代後半には長年の薬物の常用によりエヴァンスの体調は常に悪く、1980年9月9日に激しい体調不良の為、周りからは演奏中止要請がありましたが、それを振り切りライブ演奏を続行します。

そしてついに体調不良で演奏できなくなり病院に搬送されます。

演奏できなくなって5日後に51歳でビル・エヴァンスは帰らぬ人となりました。

ビル・エヴァンスの特徴

私は、ジャズを聴くようになってしばらくビル・エヴァンスは聴いていませんでした。

「ワルツ・フォー・デビィ」が三拍子でスタートして録音状態もそれほどよくないので、

何となくかったるく、その演奏を聴く気になれなかったのが大きな理由です。

「ワルツ・フォー・デビィ」はしばらく聴いていると、途中から4拍子になって心地よくスウィングすることを知りました。

そこでエヴァンスの特徴ですが、モダン・ジャズを象徴するピアノトリオです。

「エレガント」「繊細」「叙情的」「クールでおしゃれ」「コードチェンジに問わられないモード奏法」「インター・プレイ」など、ビル・エヴァンスを形容する言葉は多くあります。

代表曲1 ワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)

当時のジャズ界では黒人が多く演奏していましたが、少数派の白人として間違いなくモダン・ジャズに大きな革新を与えました。おしゃれな演奏とは裏腹に演奏に傾ける情熱は、強烈だったと想像できます。

私は、クリアな音が好きなのでキース・ジャレットを初心者の頃から聴いていましたが、後にエヴァンスを聴くと、間違いなくキース・ジャレットはエヴァンスの影響を受けていたことが分かります。

この記事の冒頭で「ジャズ初心者は、ビル・エヴァンスは聴かない方がいい」と言いましたが、ここまで記事を読んだ方であれば、ジャズ初心者でもビル・エヴァンスは聴いた方がいいと断言します。

代表曲2 ソー・ファット(So What)

モダン・ジャズ最高の1枚と言われる「カインド・オブ・ブルー」に参加しモードジャズを確立し、日本で最も売れたジャズアルバム「ワルツ・フォー・デビィ」を世に送りだしたビル・エヴァンスは、間違いなくモダン・ジャズを大きく発展させたミュージシャンなのです。

当時のジャズミュージシャンの多くは新しい音楽を作ることを評価の対象として活動してきましたが、ビル・エヴァンスのスタイルは、ほとんどモダン・ジャズのピアノトリオだったことも多くの人から愛される理由のひとつかもしれません。

代表曲3 ブルー・イン・グリーン(Blue in Green)

代表曲4 My Foolish Heart

代表曲5 枯葉(Autumn Leaves)

代表曲6 Bill Evans Tony Bennett Together Again

代表曲7  マイ・ロマンス(My Romance)

「ジャズで一番有名な人は誰ですか?」と質問があった場合、私ならこう答えます。

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