コールマン・ホーキンスは、アメリカのミズーリ州出身のテナーサックス奏者です。
「テナー・サックスの父」としてその後のサックス奏者だけでなく多くのジャズミュージシャンに影響を与えました。
コールマン・ホーキンスのソロ演奏は、その後レスター・ヤング、チャーリー・パーカーに引き継がれモダンジャズのビ・バップを盛り上げることになりました。
この記事では、コールマン・ホーキンスの名前を始めて聞くジャズ初心者にも分かりやすく紹介します。
目次
コールマン・ホーキンスの経歴
コールマン・ホーキンスは、1904年にアメリカのミズーリ州に生まれたジャズ・サックス奏者です。(デューク・エリントンより5歳下、アームストロングより3歳下)
ごく普通の家庭に生まれたコールマン・ホーキンスは、始めはクラシックのチェロを学んでいましたが、その後ジャズのテナーサックスに転向し、ジャズの世界で生きていくことを決意します。
1922年(18歳)でニューヨークに進出し、翌年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入します。
コールマン・ホーキンスがフレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入した翌年にルイ・アームストロングが加入します。
ニューオーリンズ・ジャズに根ざしたアームストロングのスタイルに影響を受け、ホーキンスも荒々しさと洒落っ気を兼ね備えた演奏スタイルを確立することになります。
しばらくしてアームストロングは、フレッチャー・ヘンダーソン楽団を脱退しましたが、コールマン・ホーキンスは、1930年代初頭までこの楽団の看板奏者として活躍しました。


しばらくヨーロッパで活躍していましたが、1939年に帰国するとバンド・リーダーとして、後にスタンダード・ナンバーとなる「ボディ・アンド・ソウル」等を録音します。
1940年代には、当時新しいジャズであるビ・バップの流れに注目し、セロニアス・モンクやマックス・ローチ等の若手を育て、後に教え子的存在であるセロニアス・モンクのリーダー・アルバムに、ジョン・コルトレーンやアート・ブレイキーと共に参加することになります。
その後は、代表作でもあるアルバム『ハイ・アンド・マイティ・ホーク』を、古くから親交のあったハンク・ジョーンズらと録音しています。
1969年(65歳)、コールマン・ホーキンスは、肺炎で亡くなりました。
それまでにトミー・フラナガン、マックス・ローチ、バド・パウエル、デューク・エリントン、ソニー・ロリンズなど多くのレジェンド達と共演しジャズ界に多大な影響を与えました。


コールマン・ホーキンスの特徴
現在ジャズのコンボバンドのフロント楽器としてトランペットとテナーサックスが定番になっていますが、ビ・バップ以前のジャズの世界ではテナーサックスはマイナー楽器でした。
当時は、トランペット(コルネット)、クラリネット、トロンボーンが主流でした。
そのマイナー楽器のテナーサックスをジャズの主流楽器として高めたのが、コールマン・ホーキンスで「テナー・サックスの父」と呼ばれるようになりました。
テナーサックスの特徴を最大限に引き出した「ボディ・アンド・ソウル」は、有名です。
ごく簡単に言うとコールマン・ホーキンスの演奏は、男性的で豪快な印象ですが、その後フレッチャー・ヘンダーソン楽団に彼の後釜として入ったレスター・ヤングは、繊細でメロディアスな演奏をしていました。
その為、当初レスター・ヤングは、フレッチャー・ヘンダーソン楽団人気が出ずに苦労していますが、後のチャーリー・パーカーの憧れとなったのは、レスター・ヤングでした。
誤解のないように言うと、ジャズ初心者が聴くとコールマン・ホーキンスとレスター・ヤングの違いはよく分からないと思います。私も事前に分かっていて聴くと「そう言えば違うかな」という程度です。
是非ご自身の耳で聴いてみてください。

