ルイ・アームストロングは、1901年ニューオリンズに生まれたトランペット奏者・歌手でジャズに多大な影響を与えた一人です。
デューク・エリントンより2こ下。マイルス・デイヴィスより25歳年上になります。
ルイ・アームストロングは、「サッチモ」という愛称でも親しまれています。
サッチモは、「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがあります。
カムカムエブリバディの「ひなたの道で」でも人気ですね。
目次
ルイ・アームストロングの経歴
ルイ・アームストロングは、ニューオリンズの裕福とは言えない家庭で育ち、幼少期から街角で小遣い稼ぎをしていました。
11歳の時、街のパレードがあり持っていた銃を発砲したことでしばらく少年院に入ります。
パレードにちょっと浮かれてしまい悪意はなかったようですが、11歳の子どもが拳銃を発砲したという話は、今では考えられないほど物騒だった時代だと想像します。
少年院で楽団に入り音楽に触れあい、コルネットを手にすることになります。(当時は、トランペットよりコルネットの方がメジャーだったとか)
ちなみにコルネットを吹き始めると2週間くらいでマスターしてしまいます。
1923年(22歳)には、シカゴに移り本格的にジャズを始めました。
当時のジャズは、バンド全員がそろって演奏するスタイルが主流でしたが、ルイ・アームストロングがソロ演奏のパートを加え、曲に変化をつけたことでますます人気を得ることになります。
そして、1926年(25歳)にジャズ史上初のスキャット曲「ヒービー・ジービーズ」を録音し、この録音以降ボーカリストがスキャットを多用するようになります。
ルイ・アームストロングが、「ジャズの父」と言われるゆえんですね。
既に人気はありましたが、1950年代(49歳)に「バラ色の人生」や「キッス・オブ・ファイア」が大ヒット。
1964年(63歳)に「ハロー・ドーリー!」も大ヒット。
当時は、ビートルズが連続1位をストップさせて話題になっています。本人63歳の年でした。
1967年(66歳)は、「この素晴らしき世界 (What a Wonderful World)」が世界的なメガヒットになります。当時は、ベトナム戦争の真っただ中で、反戦歌として時代に求められて流行りました。
若い時からスターではありましたが、1960年代がルイ・アームストロングのピークだったわけです。
1971年(70歳)少し前から体調不良で休養していたルイ・アームストロングは、ニューヨークの自宅で就寝中に心臓発作を起こし生涯を終えることになりました。
ジャズ史に偉大な功績を残したルイ・アームストロングですが、死因は心筋梗塞でした。
ルイ・アームストロングの特徴
ルイ・アームストロングの特徴としてスキャットを始めて取り入れたことがあげられます。
また、現代トランペットの最高峰として有名なウィントン・マルサリスは、次の言葉を残しています。
「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」
マイルス・デイヴィスは「ルイの影響を受けていないトランペット奏者はいない」と最大級の賛辞を述べています。
ルイ・アームストロングの音楽は、彼にしか出来なかった唯一無二の存在でした。
ルイ・アームストロングの時代は?
マイルス・デイヴィスは、先ほどの賛辞とは逆にルイ・アームストロングが聴衆の前で白人に媚びを売るように笑顔を振りまくことを否定しています。
そのような振舞いは、ルイの性格によるところも大きいですが、二人には25歳の年の差があります。
ルイ・アームストロングの時代では、そのような表情でもしなきゃ生きていけなかったのかもしれません。
ルイ・アームストロングの差別問題
当時の黒人に対する差別を知っていながら無視したと言われるアイゼンハワー大統領を否定するなど、ルイは、黒人差別と闘ってきました。
時代も違い同じ黒人ではあるが、裕福に育ったマイルス・デイヴィスとは境遇が違うと考えた方がいいように思います。
最後にデューク・エリントンは次のように言っています。
「ルイこそ、ミスター・ジャズだ」
ルイ・アームストロングが与えた絶大な影響とは!
ルイ・アームストロングは多くのミュージシャンに影響を与えています。
少し大袈裟な言い方かもしれませんが、もしかしたら「全てのジャズミュージシャンに影響を与えた」と言ってもいいかもしれません。
「ジャズ・サックスの父」コーマン・ホーキンスや「ジャズ・ピアノの父」アール・ハインズは、ルイの演奏に大いに影響を受けたと言われています。
少女時代のビリー・ホリディはルイのレコードを熱心に聴いてジャズシンガーになりました。そのビリー・ホリディと共演しプライベートでも交流をもち演奏に磨きをかけたのが、テナー・サックス奏者のレスター・ヤングです。
レスター・ヤングと言えばモダン・ジャズの発展に貢献したアルト・サックスのチャーリー・パーカーが、少年の頃夢中になって聴いていました。
チャーリー・パーカーの演奏に10代の頃から憧れていたのが、マイルス・デイヴィスです。
「マイルス・デイヴィス自叙伝」には、マイルスが自分の下手なトランペットを馬鹿にされながら演奏している場面が描かれています。
間接的な影響を考えると、多くのジャズ演奏家がルイ・アームストロングの影響を受けていると言っても過言ではないと思います。
カムカムエヴリバディの「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」
最近(2022年1月)は、NHKの「カムカムエヴリバディ」でルイ・アームストロングの「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート(On the Sunny Side of the Street)」がよく取り上げられています。
一般的な邦題は「明るい表通りで」と訳されていますが、「カムカムエヴリバディ」では、「ひなたの道で」と紹介しています。
元は、ブロードウェイミュージカル『ルー・レスリーのインターナショナル・レビュー 』で最初に紹介された曲で、多くのミュージシャンがカバーして、その中でもルイ・アームストロングの演奏が有名になっています。
名曲①「ヒービー・ジービーズ」
「ヒービー・ジービーズ」が、史上初のスキャットの録音になります。最初ボーカルが入ってないので不安になりますが、1分20秒あたりから独特のダミ声のボーカルが入っています。
この1曲からスキャットが始まったと思うと、ルイ・アームストロングに感謝せずにはいられないですね。
名曲②「ラビアンローズ」(バラ色の人生)
「ラビアンローズ」(バラ色の人生)も音楽好きのあなたなら聴いたことあると思います。
元は、エディット・ピアフの曲です。
吉川晃司の曲ではないんです(笑)
名曲③「キッス・オブ・ファイア」
ここで紹介する曲は全て有名なので「キッス・オブ・ファイア」も聴いたことあると思います。
ジャズとして紹介するには、珍しくタンゴチックな曲です。
名曲④「聖者の行進」
「聖者の行進」は、陽気なジャズの代名詞といえる曲です。
ディズニーランドでよく掛かっているイメージがします。
モダンジャズ以前のジャズは陽気だったのですね。
名曲⑤「星に願いを」
スタンダード曲は全てルイ・アームストロングが歌っているという感じです。
しかし、何を歌っても歌い出したら全て自分の世界を作ってしまうのは、誰にも真似できないですね。
名曲⑥「ハロー・ドーリー」
「ハロー・ドーリー」は、ルイ・アームストロングが63歳の年に大ヒットさせた曲です。
彼の集大成とも言える明るいながらも哀愁のある曲ですね。