フレッチャー・ヘンダーソンの名盤・代表曲を紹介!スウィング・ジャズ界の重要人物をジャズ初心者に向けて紹介します!

山 フレッチャーヘンダーソン ジャズ

この記事では、フレッチャー・ヘンダーソンの名盤・代表曲をジャズ初心者に向けて紹介します。

フレッチャー・ヘンダーソンは、スウィング・ジャズを一躍有名にしたスウィング・ジャズの重要人物です。ピアニスト、作曲家、編曲家、バンドリーダー

特にバンドリーダーとしてルイ・アームストロングやコールマン・ホーキンスなどのスタープレイヤーを輩出し、その後ベニー・グッドマン楽団の編曲を担当しています。

デューク・エリントンほど有名ではないですが、スウィング・ジャズを語るうえでは非常に重要な役割を果たしたフレッチャー・ヘンダーソンの名盤・代表曲を是非聴いてみてください。

フレッチャー・ヘンダーソンの経歴

フレッチャー・ヘンダーソンは、1897年アメリカのジョージア州で生まれたアフリカ系アメリカ人です。(デューク・エリントンより2つ上)

アトランタ大学を卒業後にニューヨークに渡りコロンビア大学で化学を専攻します。ニューヨークではアフリカ系アメリカ人に対する差別の為、自分の希望の化学関係の会社に就職できずレコード会社に就職します。

そこで同社のハウスピアニストとして活躍することになりました。

1922年、フレッチャー・ヘンダーソンは、自分の楽団を結成し翌年にコールマン・ホーキンス、翌々年にルイ・アームストロングが加入して大人気となりました。

アームストロングは、はしばらくして独立しますが、ホーキンスは1930年代初頭までフレッチャー・ヘンダーソン楽団に所属し看板奏者として活躍しました。

フレッチャー・ヘンダーソンは、1920年代に始まったスウィング・ジャズ界において歴史的な存在ですが、その後ベニー・グッドマンに出会い、彼の楽団の編曲を担当しました。

1939年には、自分の楽団を解散してベニー・グッドマン楽団の専属アレンジャーとなり、ますますスウィング・ジャズの発展に貢献しました。

また「ブルースの女王」ベッシー・スミスの伴奏を伴奏ピアニストとしてもよく知られています。

1952年(55歳)フレッチャー・ヘンダーソンは、短い生涯を終えました。

フレッチャー・ヘンダーソンの特徴

フレッチャー・ヘンダーソンは、スウィング・ジャズが始まる1920年代には中心となるバンドのリーダーとして重要な存在でした。ビッグバンドとして演奏形式は、フレッチャー・ヘンダーソンから始まっています。

しかしながらジャズ史においては、意外なほど過少評価です。

後のデューク・エリントンが活躍するまでは、フレッチャー・ヘンダーソン楽団が主流で当時一流のジャズミュージシャンは、フレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍していたことがステータスになっています。

当時スウィング・ジャズが流行り世界恐慌まで景気のよかったアメリカですが、フレッチャー・ヘンダーソンは、名声を得たいなどの意欲は強くなかったと言われています。

また、リーダーとしての資質に欠けていた為、バンドメンバーを上手くまとめることが出来ませんでした。

自身のバンドを解散した後は、ベニー・グッドマンの専属アレンジャーとなり陰でベニー・グッドマンを支えています。

ジャズ史としてベニー・グッドマンが一人で楽団をまとめているように名声を得ていますが、フレッチャー・ヘンダーソンのアレンジがなければ、成しえなかった業績です。

どうやら名声は、人から人に語り継がれるものなので成しえた業績以上に人望や人気など重要なことが必要なのかもしれません。

代表曲1 The Dicty Blues アルバム「A Study in frustration」

ニューオリンズジャズからスウィング・ジャズが誕生する息吹を感じます。

代表曲2  SUGARFOOT STOMP  

代表曲3  King Porter Stomp

代表曲4 ヘンダーソン・ストンプ(by ベニー・グッドマン)

代表曲5  ベニー・グッドマン”King Porter Stomp”

代表曲6  The Stampede(コールマン・ホーキンス、フレッチャー・ヘンダーソン)

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