チェット・ベイカーはマイルス・デイヴィスと同じ時代に生きたウェストコースト・ジャズのトランペット奏者・ボーカリストです。
若い時は、その端正なルックスも手伝ってマイルス・デイヴィスをしのぐほどの人気のあったミュージシャンです。
日本でも非常に人気のあるトランペット奏者で抒情的なチェット・ベイカーの演奏をお手本とする日本人ミュージシャンも多くいます。
この記事ではどこよりも分かりやすくチェット・ベイカーの経歴、名盤・おすすめ曲を紹介していきます。
目次
チェット・ベイカーの経歴
チェット・ベイカーは、1929年アメリカのオクラホマ州で生まれました。(マイルス・デイヴィスの3つ下、世界大恐慌の年)
父親はプロのギタリスト、母親はピアノを弾く音楽一家に生まれたチェット・ベイカーは、14歳の時にトロンボーンを買い与えられたが、扱いにくかったようで、トランペットに変更し、その後トランペットを演奏するようになります。
16歳の時、チェット・ベイカーは米軍に入隊し軍の楽隊で演奏をするようになります。
5年間ほどで除隊しロサンゼルスに拠点を移しジャズクラブで演奏して、当時トランペット奏者としては既にスターになったマイルス・デイヴィスの「クールの誕生」に影響を受け演奏を続け、スタン・ゲッツやチャーリー・パーカーから評価を得て共演することになりました。
チェット・ベイカーの初期の演奏は、1952年にチャーリー・パーカーのバンドで録音された「The Bird You Never Heard (Stash)」で聴くことが出来ますが、その後1954年の『チェット・ベイカー・シングス』に収録された「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が最も彼を代表する1曲となりました。
チェット・ベイカーのトランペットと中性的なボーカルは当時のジャズ界に大きな影響を与えました。

ただ、当時のアメリカの音楽業界は薬にまみれた世界で、チェット・ベイカーは麻薬をやっている人間に魅力を感じ、本人も常用し早い時期からマリファナを売る側に回り、1950年後半にはマリファナの不法所持で逮捕されることになります。
その後は、薬からみのトラブルの喧嘩で歯を折られるなど大けがをして演奏活動を中止して生活保護を受けるほどの生活まで経験しています。
また、拠点をヨーロッパに移すなど再起を伺っていましたが、ヨーロッパでも薬関係で各国を追われることになります。
映画監督ブルース・ウェーバーは、チェット・ベイカーの端正なルックスや波乱万丈の人生に注目し彼の自叙的ドキュメント映画「Let’s Get Lost」を撮りアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞にノミネートされました。
1988年(58歳)オランダのアムステルダムのホテルの窓から転落死をしています。原因不明。

チェット・ベイカーの特徴
チェット・ベイカーの演奏は、どちらかというとテクニックだけに頼らない音数の少ない演奏をするトランペット奏者です。
同じく音数の少ないトランペット奏者としてマイルス・デイヴィスもいますが、当然ながらそれぞれオリジナリティのある演奏です。
誤解のないように自分の意見を述べさせてもらうと、マイルス・デイヴィスのアドリブは、素人にはコピーできませんが、チェット・ベイカーのアドリブは、素人でもチャレンジできるフレーズの分かりやすい演奏と言えるでしょう。(プロの人が、教えてくれました)
それにしてもチェット・ベイカーを説明する時に薬はつき物です。当時の業界がその雰囲気に包まれていたので、避けて通ることは出来なかったと思います。しかし、それがなくてもチェット・ベイカーなら活躍できたと思うと残念ですね。

チェット・ベイカーは、ルックスとは対照的に楽譜を読めないミュージシャンとして有名です。アドリブは全て感覚だったとか。
「マイルス・デイヴィス自叙伝」では、マイルスが「何で音楽を仕事としているやつが、音楽の勉強をしないのか、俺には分からない」と言っていましたが、それでも出来てしまうのが音楽かもしれません。
モダンジャズは、ビバップで始まってモードジャズで盛り上がり、ハードバップで成熟していきますが、ウェストコースト・ジャズはとても聴きやすくチェット・ベイカーの初期の演奏は、ジャズ初心者にはおすすめです。
ゴテゴテのジャズの合間にチェット・ベイカーの軽めのジャズを聴くと突き抜けるようなスッキリした気持ちになりますよ。