アーヴィング・バーリンは、ロシア生まれのアメリカを代表する作曲家・作詞家です。
日本ではもしかしたらそれほど名前は知られていないかもしれませんが、「ホワイト・クリスマス」など多くの名曲を残しています。
ジャズで演奏される曲が多い順に作曲家を上げるとベスト5に入るほど有名な作曲家です。
アーヴィング・バーリンの経歴・代表曲を知ることで今以上にジャズを楽しむことが出来ると思います。
目次
アーヴィング・バーリンの経歴
アーヴィング・バーリンは、(1888年)ロシア支配下のベラルーシに生まれました。
デューク・エリントンより11歳も年上。1989年まで生きていますから享年101歳でした。
当時、ロシアではユダヤ人が迫害されており多くのユダヤ人がアメリカに渡っていました。
アーヴィング・バーリンの生立ち
バーリンも同様に5歳の時に家族とともにアメリカのニューヨークに移住して来ました。
移住した3年後に父親が死去したため、生活は苦しく新聞売りや靴磨きなど様々な職を転々としていました。
貧しかったことで、アーヴィング・バーリンは、音楽の勉強も受けることなく譜面を読めない作曲家でした。大ヒットを飛ばしても最後まで読めなかったと言われています。
また、コール・ポーターと同じく作曲だけでなく作詞も出来るソングライターでした。
音楽の勉強だけでなく教養の貧しさから、インテリ風の文章は書けず、逆にそれが大衆受けする詩になったようです。

アーヴィング・バーリンのデビューから大ヒットまで
アーヴィング・バーリンは、音楽に興味を持ち、まずはマンハッタンのチャイナタウンのカフェのウェイター兼専属歌手になり、カフェで歌うための曲を自作するようになります。
スタートは歌手だったわけです。
そして、人生最初のヒットは、1911年発表の「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」。23歳。
それ以降は、ずっとヒットを出し続けていますからやはり天才です。
1915年、アメリカが第一次世界大戦に参戦しました。
慰問のミュージカルショーのために数々の作品を手がけるようになり、この頃に後に「第二の国歌」と呼ばれるようになった「ゴッド・ブレス・アメリカ」を作詞、作曲しています。
1942年の映画『スイング・ホテル』では、劇中歌「ホワイト・クリスマス」の作詞・作曲でアカデミー歌曲賞を受賞するなどして、当時隆盛を誇っていたハリウッドを代表する映画音楽家ともなりました。54歳。
この「ホワイト・クリスマス」の作曲作詞をしていることが、アーヴィング・バーリンを紹介するうえで一番重要なところです。
1950年代になるとアメリカではロックンロールが流行ります。その簡単なコード進行のロックンロールが流行ることに違和感を覚え1962年に引退しています。74歳。
理由は何であれ74歳だから引退してもおかしくない年代ですね。

アーヴィング・バーリンの功績
バーリンは、引退後もアメリカを代表する作曲家として評価されグラミー賞の生涯功労賞を受賞しています。
また、101歳で生涯を終えていますが、死後にはその栄誉を称えて記念切手が発行されています。
最後にあのジョージ・ガーシュウィンをして「アメリカのシューベルト」と言わしめた人物であることを付け加えておきます。
ジャズで演奏される曲が多い作曲家
ジャズで演奏される曲が多い順に作曲家を並べるとこのようになります。
そうそうたるメンバーの中でアーヴィング・バーリンは5位に入ります。
1位 デューク・エリントン
2位 リチャード・ロジャース
3位 コール・ポーター
4位 ジョージ・ガーシュイン
5位 アーヴィング・バーリン

代表曲1 ホワイト・クリスマス(ビング・クリスビー)
アーヴィング・バーリンの最大のヒット曲が、「ホワイト・クリスマス」です。
当然ながらアーヴィング・バーリンが曲も詩も書いています。
1942年に映画『スイング・ホテル』でビング・クリスビーが歌ったが最初になります。
しかもビング・クリスビーの「ホワイト・クリスマス」は世界で最も売れたシングルとも言われています。
※正式には、1958年以前の記録については不備もあるため、 公式な世界全体でのシングル盤の売り上げでは、クロスビーの「ホワイト・クリスマス」は第2位とされています。
また、ビング・クリスビー以外の多くの歌手が歌っているので売上枚数は1億枚以上になると言うので驚きです。
代表曲2 アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド
アーヴィング・バーリンが作曲・作詞をして最初の大ヒット曲が「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」。
バンドと付いているのでバンド名かと思いましたが、これが曲名です。
タイトルにラグタイムと言う言葉が入っていますが、ラグタイムの要素は全く含まれていません。
日本人も結構歌っていますね。
代表曲3 ゴッド・ブレス・アメリカ
「アメリカ合衆国第2の国歌」と言われるのが「ゴッド・ブレス・アメリカ」です。
ジャズでは演奏されることはありませんが、アーヴィング・バーリンを象徴するアメリカを代表する曲です。
最近では、セリーヌ・ディオンが歌っていることでも有名。
代表曲4 ブルー・スカイ
1926年ミュージカル『Betsy』で歌われたのが「ブルー・スカイ」です。
その後は、映画をはじめ多くのジャズミュージシャンが歌っており、今でも多くのミュージシャンが演奏している曲になります。
代表曲5 チークトゥチーク
映画「トップハット」の挿入歌で歌われたのが「チークトゥチーク」。
歌は、タップダンスで有名なフレッド・アステアが踊りながら歌っていました。
最近では、トニー・ベネットとレディー・ガガが歌ったことでも有名です。
代表曲6 ショウほど素敵な商売はない
ミュージカル『アニーよ銃をとれ』のために書かれた歌が、「ショウほど素敵な商売はない」。
その後、同じタイトルで「ショウほど素敵な商売はない」という映画も上演されており、マリリン・モンローが出演しています。
代表曲7 オールウェイズ
代表曲8 ホワイト クリスマス (マイケル ブーブレ)
「ホワイト・クリスマス」は多くの歌手に歌われているので誰を紹介するか迷いましたが、今一番油がのっているマイケル・ブーブレの「ホワイト・クリスマス」を紹介します。
1975年生まれのカナダ出身ジャズシンガー。