チャールズ・ミンガスは、アメリカのジャズ・ベーシストです。
私のブログではジャズ初心者向けにジャズ・レジェンドの記事を書いていますが、チャールズ・ミンガスの記事を読もうとこの記事を訪れたあなたは、ジャズ中級者なのかもしれません。
チャールズ・ミンガスは、モダン・ジャズの初期から名だたるレジェンド達と共演してきました。
この記事では、チャールズ・ミンガスに興味を持った方に、どこよりも分かりやすくジャズ・ベーシストのレジェンドを紹介します。
目次
チャールズ・ミンガスの経歴
チャールズ・ミンガスは、1922年アメリカのアリゾナで生まれました。(マイルス・デイヴィスより4歳年上)
8歳でトロンボーンの演奏を始め、その後ウッドベースへ転向し真剣に音楽の道に進むことを決意し音楽理論やピアノも学びました。
才能はすぐに開花し二十歳過ぎにはルイ・アームストロングのグループでプロのベーシストとして活動を始め1950年頃(20代後半)にジャズの本場ニューヨークへ拠点を移しました。
ニューヨークでは、ドラマーのマックス・クローチと出会いレコードレーベル「デビュー・レコード」を立ち上げます。
1953年(31歳)チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、バド・パウエル、マックス・ローチとミンガスで行われたライブの模様をライブアルバム「Jazz At Massey Hall(ジャズ・アット・マッセイホール)」としてリリースします。
このアルバムで、ミンガスの名前は一躍広く知れ渡ることになります。


1956年(33歳)ミンガスの代表アルバム「直立猿人」を発表し作曲家・バンドリーダーとしても名声を高めました。
1959年(36歳)「Mingus Ah Um」をリリース。
1962年(40歳)デューク・エリントンのアルバム「Money Jungle」にドラムのマックス・ローチとともに参加しました。
同年リーダーアルバム「Oh Yeah」をリリース。ミンガスはベースを他のプレイヤーに任せ、ボーカルとピアノを演奏しています。
1974年(52歳)ライブアルバム「Mingus At Carnegie Hall」を発表しました。
このアルバムは、選曲、メンバーや構成などジャズ・ファンにとっては貴重な一枚となりました。
1977年(55歳)「Cumbia and Jazz Fusion」をリリース。
1979年(57歳)死去
チャールズ・ミンガスの特徴
ジャズの仲間と話している時にチャールズ・ミンガスの名前が出てくると「できるな」と思います。
少し調べてみるとその感覚は合っていたことに気づきます。
チャールズ・ミンガスは、骨太でジャズど真ん中を生きたレジェンドです。
ウッドベースの音について詳しく語れるほどの筆者ではありませが、人差し指一本で弦を弾き音量のある音が特徴です。
本人はピアノのアルバムを出しているように音楽についてよく精通しており、作曲家、バンドリーダーとしても多くの後輩に影響を与えてきました。
ミンガスの代表作「直立猿人」は、アルバムにストーリー性を持たせた作品として有名で、1950年代にフリージャズ的な新しい音楽に挑戦したことも驚きです。
かなり構えないと聴けないかもしれませんが、時間のある時にじっくりジャズに浸りたい時にはいいかもしれません。
また黒人に対する人種差別には激しく抵抗しており、「フォーバス知事の寓話」はそうした差別への怒りが生んだ曲と言われています。
黒人差別への怒りは、あのマイルスもなだめたと逸話もあります。