アール・ハインズは、アメリカのジャズ・ピアニストです。
アール・ハインズは、ルイ・マームストロングと同時代に活躍し、「ジャズ・ピアノの父」として後のジャズに多大な影響を与えました。
「ジャズ・ピアノの父」と呼ばれていましたが、知名度・評価ともに低いように感じます。
この記事では、そんなアール・ハインズの魅力・経歴をジャズ初心者にも分かりやすく紹介したいと思います。
目次
アール・ハインズの経歴
アール・ハインズは、1903年アメリカのピッツバーグ近郊で生まれました。(ルイ・アームストロングより2歳年下)
ハインズの父親は、地元ブラス・バンドのコルネット奏者でバンド・リーダー。音楽をやるには、恵まれた環境でした。
ハインズ本人は、幼少期よりクラシック・ピアノを習っていました。特に耳コピーの能力も高かったようですが、それでもしっかり音楽の勉強をしたことも大きな財産になりました。
ジャズに出会ったのは、10代後半です。地元のバンドのピアニストとして雇われることになります。
20歳の時、バンドの伴奏者として初めてレコーディング。
1925年(22歳)当時ジャズのメッカのシカゴへ進出し、運命の人、ルイ・アームストロングと出会います。
二人は意気投合しアームストロングは、ハインズを誘い、後の「ルイ・アームストロング・ホット・ファイブ」へと発展していくことになります。
1928年(25歳)アールハインズ・アンド・グランドテラス・オーケストラを結成し12年間活動することになります。
今では考えられないですが、オーナーはかの有名なアル・カポネでした。

アールハインズ・アンド・グランドテラス・オーケストラでは、デイジー・ガレスピーが在籍しており、ナット・キング・コール、チャーリー・パーカーとの共演もありました。
その後アール・ハインズは、個人で活動することも多かったようですが、1942年頃(39歳)深夜のジャズ・セッションをよく開催しており、後のビ・バップの基になっていると一部で言われています。
1946年(43歳)自動車事故に会い、大怪我を追ってしまいます。復帰後にアームストロングのバンドに加入しますが、ビックネームになってしまったアームストロングとは上手くいかず袂を分けることになります。
1960年(57歳)頃、ハインズは、タバコ屋を営んでいたこともあります。
ただ、周りからの誘いがあり小さなクラブでソロ演奏の企画がありました。
ソロ演奏で再びハインズの栄光に火がつき、1964年(61歳)に本格的に復帰し多くの作品を発表することになりました。
1983年 最後まで現役でピアノを弾き続け79歳で帰らぬ人となりました。

アール・ハインズの特徴
皆さん、アール・ハインズは知っていましたか?
私は、つい最近まで知りませんでした。
「ジャズ・ピアノの父」と呼ばれるアール・ハインズのことです。
1900年代初頭のアメリカでは、エンターテインメントとマフィアの関係がつき物だったと思いますが、アール・ハインズのそれはあまりにもハッキリしていたので、後世の評論家が大人の事情でアール・ハインズの名前を上げなかったのだろうと思います。
「ジャズの父」がルイ・アームストロング。
「ピアノの神様」がアート・テイタム。
「テナー・サックスの父」がコールマンホーキンス。
「ジャズ・ピアノの父」があまり知られていないのは、普通に考えると理解が難しいです。

ジャズ・ピアノのレジェンドを上げるとアート・テイタムの名前はよく聞きますが、アート・テイタムが若い頃憧れていたアール・ハインズです。
アール・ハインズの演奏を今聴いても古さを感じることがありません。
ハッキリ言って、上手い演奏です。
100年ほど前にこれだけの演奏をするピアニストが存在していたといだけで驚きです。
アール・ハインズ世界一受けたいジャズの授業
このような映像が残っているのは嬉しいことですね。
ジャズ初心者にはとてもおすすめのジャズ・ピアノの演奏になります。