マックス・ローチは、アメリカ出身のジャズ・ドラマーです。
テクニックもさることながら「歌うようなドラム」と称され、多くのジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与えています。
ビバップ時代のジャズ全盛期に活躍したマックス・ローチの実績を紹介いたします。
目次
- 1 マックス・ローチの経歴
- 2 マックス・ローチの特徴
- 3 代表曲1 Cherokee- Clifford Brown & Max Roach 『スタディ・イン・ブラウン』
- 4 代表曲2 Jazz at Massey Hall(ジャズ・アット・マッセイ・ホール)
- 5 代表曲3 Jordu – Clifford Brown & Max Roach
- 6 代表曲4 “Mr. Hi Hat” Max Roach,
- 7 代表曲5 Drums Unlimited
- 8 代表曲6 “The Third Eye”
- 9 代表曲7 St. Thomas(SAXOPHONE COLOSSUS)-Sonny Rollins
- 10 代表曲8 Joy Spring – Clifford Brown & Max Roach
マックス・ローチの経歴
マックス・ローチは、1924年生まれのアメリカ出身のジャズ・ドラマーです。(マイルス・デイヴィスの2つ年上)
8歳でピアノを習いはじめ、10歳の頃にはゴスペル・バンドでドラムを叩くようになります。
ビバップのさきがけとしてミントンズ・プレイハウスや他のクラブでジャム・セッションが盛り上がり、ビバップが生まれたことは有名ですが、そのジャズ・セッションに参加していたのが、マックス・ローチです。
当時は、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーやソニー・クラークなどと共演し刺激しあって、モダン・ジャズの基を作った一人です。
1943年(19歳)若くして、当時大先輩でもあるコールマン・ホーキンスのバンドで活躍する機会を得ます。
1945年頃からは、チャーリー・パーカーと共演し多くの録音にも参加しています。

チャーリー・パーカーの全盛期にドラムを叩いていたのが、マックス・クローチなんですね。
その後もジャズ・レジェンド達と多くの共演をしており、1953年(29歳)には、当時のビバップにおいてオールスターとも言えるメンバーで『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』をリリースしています。
1954年(30歳)マックス・ローチを紹介するうえで忘れてはならないのが、クリフォード・ブラウンとの共演です。
抜群のセンスのクリフォード・ブラウンとの共演でお互い才能を認め人気が高まってきたところですが、残念なことにクリフォード・ブラウンは、若くして自動車事故で亡くなってしまいます。
そのショックから立ち直るのにしばらく時間を要しましたが、その後は、ケニー・ドーハムやソニー・ロリンズとの共演もはたし音楽活動を精力的に続けていきます。

1960年(36歳)頃は、人種差別へ対抗する音楽活動も行いました。
1962年(38歳)デューク・エリントンのアルバム『マネー・ジャングル』に参加。
1970年(46歳)メンバー全員がパーカッショニストという編成ユニットを結成。
2007年(83歳)ニューヨークで死去。
マックス・ローチの特徴
マックス・ローチは、ジャズ初心者には、是非聴いてほしいドラマーの一人です。
とにかく共演メンバーがすごい。
マックス・ローチの演奏は、「歌うようなドラム」と評価されています。
ドラムというとリズムを刻む楽器のように思っている人もいるかもしれませんが、リズムを刻むだけでは、無機質な演奏になってしまいます。
現代では「歌うようなドラム」は、ジャンルを問わずドラマーの理想なのかもしれません。それを最初にやったのが、マックス・ローチです。
ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』のドラムもマックス・ローチですね。
その後のジャズ史に大きな影響を与えたアルバムです。
「セント・トーマス」には長めのドラムソロが入っているのでマックス・ローチを十分堪能することが出来ます。

また非常に珍しいのですが、パーカッショニストだけでアルバムを出しています。
よっぽどリズムが大好きなのだと思います。
マックス・ローチのドラムを聴いて技術が洗練され、今のドラマーがより良い演奏をしているのだと思います。
しかし、相性抜群だったクリフォード・ブラウンの交通事故死は、本当に残念でした。
その後のマックス・ローチの落胆ぶりは想像に難くないと思います。たらればの話をどうしてもしたくなりますが、ここでは止めておきます。
マックス・ローチという名前は聴いたことあるけど、まだちゃんと聴いてないという人には、是非聴いてほしいと思います。