ジョン・コルトレーンは、モダンジャズを代表するサックスプレーヤーです。
テナー・サックスを主に演奏しますが、後年はソプラノ・サックスも演奏しており、最晩年はフルートも演奏しています。
人気が出るまで少し時間が掛かりましたが、今でもマイルス・デイヴィスをしのぐ人気でジャズ史上最大のカリスマとして多くのファンに愛されています。
コルトレーンを紹介するには、私ごときでは恐れ多いのですが、ジャズ初心者にも分かりやすく紹介します。
目次
ジョン・コルトレーンの経歴
ジョン・コルトレーンは、1926年にアメリカのノースカロライナ州に生まれたサックスプレーヤーです。(マイルス・デイヴィスと同い年)
1939年(13歳)クラリネットを手に取り音楽を始めますが、後にアルト・サックスに転向しました。
1949年(23歳)20歳からプロで活動を始め、23歳でディジー・ガレスピーのバンドにし、テナー・サックスに転向していますが、しばらく無名時代が続くことになります。
1955年(29歳)既に人気絶頂だったマイルス・デイヴィスのバンドに抜擢され、この頃から名前が知られるようになります。
その後一旦マイルスのバンドを脱退し、セロニアス・モンクのバンドに弟子入り状態で加入します。
そこで「神の恩恵を受けた」と名言を残すとともに見違えるように覚醒すること成功します。
1957年(31歳)初のリーダーアルバム「コルトレーン」を発表します。

同年7月のニューヨークのライブハウスでの演奏は有名で、ジョン・コルトレーンが完全にジャズのレジェンドとして誕生した月として多くのジャズファンの記憶に残ることになりました。
1958年(32歳)マイルスのバンドに再加入し、翌年の「カインド・オブ・ブルー」の収録に参加しました。
この頃、コルトレーンの代表作「ジャイアント・ステップス」も録音。
1960年(34歳)マイルスバンドを脱退し、コルトレーンのレギュラーバンド(マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ)を結成します。
「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、コルトレーンの最初のヒット曲となりましたが、特にソプラノ・サックスを吹いて3拍子の曲という組み合わせも斬新で、その後のコルトレーンの定型パターンとなりました。
1962年(36歳)デューク・エリントンとの共演。「バラード」の発表。

1964年(38歳)コードにとらわれないモード・ジャズを突きつめ「至上の愛」を発表します。
1965年(39歳)モード・ジャズを突き抜けフリー・ジャズを支持する方向に進みます。
尊敬する音楽家としてフリー・ジャズを代表するオーネット・コールマンの名前を上げています。
1967年(40歳)胆管癌を患い帰らぬ人となりました。
ジョン・コルトレーンの特徴
ジョン・コルトレーンは、モダンジャズの世界で間違いなくレジェンド中のレジェンドです。
筆者は、ジャズ初心者に向けてこのブログを書いていますが、本来ならもっと早く紹介すべきだったコルトレーンのことをやっと書く気持ちになれました。
というのも、ジャズファンにとってコルトレーンは、特別な存在のように思えて、もしもコルトレーンのことを間違って解釈してブログに載せてしまったら、ものすごいお叱りを受けるのではないかと怖さがあったからです。
今回は、やっとその呪縛から解き放たれてきたので書いてみようと思います。
上の経歴でも意外と思った人も多いと思いますが、マイルス・デイヴィスと同い年なんですね。
当時は、マイルスの方が圧倒的に人気があったでの、てっきりマイルスが年上かと思っていましたが、1926年生まれにモダンジャズを作ったレジェンドが2人いることは興味深いことでした。
ジョン・コルトレーンの影響力
ここまですごかったコルトレーンですので、今ジャズ系のサックスをやっている人はほとんどコルトレーンの影響を受けていると言っても過言ではありません。
もしも「私は、コルトレーンを聴いたことないし全く影響受けてない」と言う人がいたとしても、その人が今まで参考にしてきたサックスプレーヤーを辿るとどこかで誰かがコルトレーンの影響を受けています。
ほぼ間違いなく間接的に影響を受けているので、全く受けてないことはない訳です。
そのぐらいすごい人が、コルトレーンなんですね。

「シーツ・オブ・サウンド」
究極の速弾きで音を敷き詰めたような演奏から「シーツ・オブ・サウンド」と言います。
アルバム「Giant Steps」で聴くことが出来ます。
私は、あるセッションでテナー・サックスの人が、速弾きをしていて「え?」となってしまいました。後になってコルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」をやっているんだなと知りました。
素人が中途半端にやるとダサダサになるので注意が必要です。
神の恩恵を受けた
音楽活動の期間は20年ですが、前半はほとんど無名でした。
30歳でなんとかマイルスのバンドに加入出来て知名度は上がりましたが、コルトレーンが覚醒したのは麻薬を止めてセロニアス・モンクから音楽を学んだことが原因でした。
まさにモンクから「神の恩恵を受けた」わけです。
改めてセロニアス・モンクはすごいと思います。
それにここまでコルトレーンのジャズを支持されるのは、コルトレーンとコルトレーンの音楽が何か神々しいイメージをかもし出しているのだと思います。
コルトレーンのアドリブのすごさもさることながら本人の真摯に音楽に向き合う姿や風貌、当時の時代背景などが重なって伝説になったのだと思います。

コルトレーンのイメージ
ジャズ史に残る最高のアルバムを上げるとすると1位はマイルス・デイヴィスの「KIND OF BLUE」を上げますが、2位にはジョン・コルトレーンの「A Love Supreme至上の愛)」を上げるでしょう。
個人的な意見ですが、マイルス・デイヴィスは多少否定してもジャズ上級者は笑って許してくれそうですが、ジョン・コルトレーンの場合は、何となく否定しちゃいけないような雰囲気をかもし出しているのがコルトレーンらしさだと感じています。
実際、ジャズ上級者に怒られたことはありません。
代表曲1 My Favorite Things
代表曲2 Impressions – John Coltrane Quartet
代表曲3 Ballads
代表曲4 On Green Dolphin Street – John Coltrane & Wynton Kelly
代表曲5 Giant Steps
「シーツ・オブ・サウンド」で有名なアルバムです。
代表曲6 Greensleeves
代表曲7 Ascension
フリー・ジャズです。
コルトレーンを紹介するには、載せない選択肢はないので紹介しますが、体調悪い人とジャズ初心者は、長く聴かない方がいいと思います。