キャノンボール・アダレイは、アメリカのアルト・サックス奏者です。
モダン・ジャズのど真ん中世代でマイルス・デイヴィスとも多く共演しソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズを大いに盛り上げました。
モダン・ジャズを代表するアルバムに必ず入っており少し地味ながらも最高のテクニックを誇るアルト・サックス奏者です。
ジャズ初心者の方は、キャノンボール・アダレイからジャズを聴くとより早くジャズを理解できるかもしれません。
この記事は、どこよりも分かりやすくまとめてアダレイを紹介しています。
目次
キャノンボール・アダレイの経歴
キャノンボール・アダレイは、1928年アメリカのフロリダ州に生まれました。(マイルス・デイヴィスの2つ年上)
父親がコルネット奏者だったこともあり、早くからサックスを吹くようになりました。
地元で地味にバンド活動そしていましたが、1955年(27歳)にニューヨークに引っ越します。
そこでキャノンボール・アダレイが、客として訪れていたライブ・ハウスでたまたま演奏者が現れません。たまたまアルト・サックスを抱えていたアダレイが、演奏することになりました。
1955年は、チャーリー・パーカーが亡くなったばかりで、アダレイの登場はチャーリー・パーカーの再来と騒がれ、そこから快進撃が始まります。

1958年(30歳)マイルス・デイヴィスのバンドに参加。「マイルストーンズ」「サムシン・エルス」
1959年(31歳)マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」に参加。
その後弟でコルネット奏者のナット・アダレイとバンドを組み多くの名曲を残し商業的にも成功を収めることが出来ました。
1960年代になると当時の流行に乗りクロスオーヴァーにも挑戦しています。
1962年(34歳)セルジオ・メンデスと共演しボサノヴァを取り入れた曲を発表しました。
1966年(38歳)ソウル・ジャズとして有名なアルバム「マーシー、マーシー、マーシー」を発表。
1975年(46歳)脳梗塞で帰らぬ人となりました。
キャノンボール・アダレイの特徴
アルト・サックスと言うと最初に名前があがるのは、チャーリー・パーカーですが、その次に名前をあげるとすれば、多くの人はキャノンボール・アダレイの名前をあげると思います。
キャノンボール・アダレイの演奏をよく聴いてみると、やはり超ウマです。
アルト・サックスを演奏する為に生まれてきたような感じです。
それにアダレイは、モダン・ジャズのど真ん中で歴史的なアルバムに顔を出しています。
歴史的なアルバムには歴史的なジャズレジェンドが参加しており、ついつい他のミュージシャンにスポットライトが当たってキャノンボール・アダレイが目立たない存在になっています。
有名なアルバム「サムシン・エルス」
当時マイルス・デイヴィスが麻薬中毒でリーダーとしてアルバムを出せない時にキャノンボール・アダレイがリーダーと記載され発表したアルバムが、「サムシン・エルス」です。
メンバーの人選も含めてマイルス・デイヴィスが担当しハード・バップの最高峰のアルバムに仕上がりました。特にシャンソンを取り入れた「枯葉」はジャズスタンダードの名曲中の名曲です。

モダン・ジャズを代表する「カインド・オブ・ブルー」
また、ジャズ史上最も売れたアルバム「カインド・オブ・ブルー」にもキャノンボール・アダレイは参加しています。
モード・ジャズだけでなくモダン・ジャズを代表する一枚ですよね。
アルバム「カインド・オブ・ブルー」では、マイルス・デイヴィスの他にジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスの印象が強くてアダレイの名前が薄れてしまいます。
評論家の中には「アダレイは、モード・ジャズを理解していない」という人もいるようです。
他の意見として「マイルス・デイヴィスは、それを分かったうえでアダレイを起用している。」「全員が暗めのアドリブの中、アダレイのようなアドリブがあった方が、曲としてバランスがいい」など。
ジャズ初心者には、是非聴いてもらいたいアルト・サックス奏者が、キャノンボール・アダレイです。