ボサノバ(Bossa nova)は、ジャズライブに行くと必ず演奏されるジャンルで、とてもオシャレな雰囲気の音楽です。
この記事では、「ボサノバとはどういう曲か?」について、初心者向けにどこよりも分かりやすく説明します。
この記事を読むと4分でボサノバのことが全て分かります。
ボサノバはどこの国でいつ生まれたの?
ブラジルで1958年に生まれました。
作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン
作詞:ヴィニシウス・ジ・モラエス
歌・ギター:ジョアン・ジルベルト
では、順を追って説明しますね。
目次
ボサノバの歴史
ボサノルの歴史は、結構浅いのでかなりはっきり説明することが出来ます。。
ボサノバは、1958年にブラジルで誕生した音楽です。
ブラジルと言えば、サンバを思い出す人が多いと思いますが、リオデジャネイロの白人「中産階級」で生まれたのがボサノバです。
サンバと言うとリオのカーニバルで演奏されているようなにぎやかな曲のイメージが多いですが、いろいろな種類があり、静かで抒情的なサンバもたくさんあります。
ボサノバの「Bossa」とは「新しい」、「Nova」とは「隆起、こぶ」を意味しています。
なので、ボサノバは「新しい傾向」「新しい感覚」という意味になります。
とにかくボサノバは、オシャレな曲の代名詞ですよね。
ジャズが夜の曲なら、ボサノバは休日の昼の音楽のイメージがあります。
そして、作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン、作詞:ヴィニシウス・ジ・モラエス、歌・ギター:ジョアン・ジルベルトが作った「想いあふれて」が、ボサノバ第1号の曲として発表されます。
ボサノバ作曲家 アントニオ・カルロス・ジョビン
1927年に生まれたアントニオ・カルロス・ジョビンは、ボサノバの作曲家で、トム・ジョビンとも呼ばれています。
トム・ジョビンは、リオデジャネイロに生まれ14歳からピアノを習い作曲も初めていました。
一度家族を養う為に建築学校に入学していましたが、音楽の道をあきらめきれずに音楽の世界に入りました。
脚光を浴びるようになったのは、ヴィニシウス・ジ・モラエス、ジョアン・ジルベルトと出会いボサノバを作るようになってからです。
そしてボサノバで最も有名な「イパネマの娘」を発表することになりますが、ボサノバのスタンダード曲と言えばジョビンが作る曲と言ってもいいくらい、アントニオ・カルロス・ジョビンが多くの曲を残しています。
ボサノバ作詞家 ヴィニシウス・ジ・モラエス
1913年にリオデジャネイロに生まれた詩人が、ボサノバ誕生に貢献したヴィニシウス・ジ・モラエスです。
ただ多彩な能力に恵まれ、モラエスの肩書は詩人の他に作家、作詞家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、ジャーナリストなどがあります。
ブラジル政府の教育・保健部門で仕事をして、イギリスへの留学。その後帰国してブラジル政府金融機関に勤めるなど、音楽活動以外にも才能を発揮しています。
そして、ジョビン、ジルベルトと共に1958年のボサノバ誕生について大きく貢献しました。
ただ、ジョビンとのコンビは「イパネマの娘」発表の1962年まででした。
意外と短かったのですね。
その後、ヴィニシウス・ジ・モラエスは、ボサノバに限らず他の音楽にも興味を示し、フランスに渡って「フレンチ・ボッサ」を誕生させたとも言われています。
そして生涯に9度の結婚離婚を繰り返し、大酒豪で気難しい性格など存在感のある人だったと想像できます。
ボサノバ歌手・ギタリスト ジョアン・ジルベルト
ジョアン・ジルベルトは、1946年ブラジル北東部バイーア州ジュアゼイロに生まれます。
若い時からギターを弾いていてレコードを出すも最初は全く売れませんでした。
しばらく姉の家に居候する生活が続いたが、その際、サンバのリズムをギターだけで表現するバチーダと呼ばれる演奏方法を生み出すことになります。
今ではコードギターを習う人が必ずどこかで練習するボサノバの演奏方法は、ジョアン・ジルベルトが発明した演奏方法なんですね。
その後、リオデジャネイロでアントニオ・カルロス・ジョンビと出会い、ジョンビがジルベルトの声とギターに惚れ込に一緒にやることになります。
そこでジョビン、モライスによる「想いあふれて」を録音しました。
ボサノバブームが盛り上がる中、アストラッド・ジルベルトと結婚。
1963年にジャズサックス奏者のスタン・ゲッツと共に「ゲッツ/ジルベルト」を録音します。
翌年、アストラッドが英語で歌った「イパネマの娘」がシングルで発売され、爆発的なヒットを記録することになります。
このバチーダを発明したことと、ボサノバの大ブームを作ったことでジョアン・ジルベルトは、「ボサノバの神」、「ボサノバの法王」など呼ばれていました。
2019年7月6日死去
つい最近まで生きていたなんて、もっと早く知っておきたかったと思いました。
ボサノバブームの立役者 スタン・ゲッツ
ボサノバを世界的にヒットさせたのは、スタン・ゲッツです。
スタン・ゲッツは1927年にフィラデルフィアで生まれ10代の頃からプロで活躍をした天才的テナーサックス奏者です。
ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスのようにジャズに革命を起こしたミュージシァンではありませんが、その時代に即した演奏でジャズの歴史にしっかりと名前を残したミュージシャンです。
当時では誰も驚かないと思いますが、私生活は乱れに乱れ、麻薬中毒、アルコール中毒の中、音楽活動を続けていました。
「イパネマの娘」を録音したことでボサノバブームを起こしていますが、スタン・ゲッツは、この曲を演奏していなくても有名であったことに変わりありません。
ボサノバの名曲
ブルー・ボサ
マシュケナダ
The gift(リカード・ボサノバ)
Wave
Desafinado
Agua de Beber(おいしい水)
Corcovado(コルコヴァード)
黒いオルフェ (カーニバルの朝)
How Insensitive(お馬鹿さん)
So Nice(Summer Samba)
One Note Samba
ジェット機のサンバ
彼女はカリオカ
ボサノバ まとめ
ボサノバとジャズの関係は?
ジャズもボサノバも音楽のジャンルの名前です。
ですが、ジャズライブにボサノバを演奏することは、今では当たり前になっています。
ジャズは、誕生以来変化し続けており、スウィングだけでなく8ビートやラテンも含めてジャズと呼ばれるようになりました。
ジャズの懐が深いのか、ズルイのかよく分かりませんが、同じジャンル名ですが、ジャズの中にボサノバが組み込まれていると考えて間違いではないです。
日本のボサノバの第一人者 小野リサ
最後に日本のボサノバを紹介します。日本人のボサノバとして有名な人は、何といっても小野リサです。ボサノバらしい歌声で休日の昼間に聴くと癒されます。
ボサノバは、BGMとして聴くにはとてもよく合う曲が多いです。
ボサノバは、スウィングよりも乗りやすい曲ですので、楽器をやられている方は是非早めに挑戦してみてください。