織田哲郎のヒット曲・名曲を紹介します。1990年代にブレイク!作曲家別シングル売上第三位!

織田哲郎 エンタメ

織田哲郎は、1990年代に一世を風靡したジャパニーズポップスを代表する天才作曲家です。

作曲家別シングル売上は、1位筒美京平、2位小室哲也、3位織田哲郎の順になります。

この記事では、誰でも一度は聴いたことがある織田哲郎のヒット曲・名曲を紹介して織田哲郎を理解してもらえたらと思います。

天才 織田哲郎の経歴

織田哲郎は、1958年生まれです。よく並び称される小室哲哉も同じ年の生まれですが、織田哲郎が早生まれの為、学年は1つ上になります。

13歳の時に父親の仕事の関係でイギリスのロンドンで2年間過ごしました。そこでふれた音楽は後に織田哲郎の音楽に影響を与えています。

帰国後は、高知県で生活することにありますが、高知でギターを始めてバンド活動をスタートすることになります。

1979年(21歳の時)ギタリスト北島健二と共に、プロデュースユニット「WHY」結成。

1983年(25歳)アルバム『VOICES』でソロ・デビューをしています。

1986年(28歳)TUBEに「シーズン・イン・ザ・サン」を提供し注目されるようになります。ちなみにTUBEもこの曲で一気にメジャーになっていきます。

1990年(32歳)B.B.クィーンズに楽曲提供した「おどるポンポコリン」がミリオンセラーを記録します。

1993年(35歳)ZARDの「負けないで」「揺れる想い」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」をこの年に発表しています。

この後は、天才織田哲郎としてミリオンセラーを量産することになります。

天才 織田哲郎の特徴

織田哲郎のメロディーの特徴は、「青春」「甘酸っぱさ」ではないかと思います。

メロディーは、サビ以外のメロディーもすごく覚えやすいところも特徴ですが、特に低音から高音に1オクターブほど跳ね上がるようなキャッチ―なメロディーが耳に馴染みます。

モリタブ
「世界中の誰よりきっと」の歌い出しの部分など、らしさが出てますね!

作曲数は、600曲ほどですが、この曲数でこれだけのヒット曲を出していることは、かなり高打率として評価されています。本人もインタビューでヒット率を自負していました。

ご自身の歌い方は、情熱的な熱唱タイプですが、ZARD、WANSなどサラッと歌ってハマる曲が多いですね。

天才 織田哲郎のヒット曲

ヒット曲1 「世界中のだれよりきっと」中山美穂&WANS

シングル売上枚数183万枚で織田哲郎が書いた曲の最高売上数になります。

ヒット曲2 「負けないで」ZARD

シングル売上枚数164万枚 第2位

すっかり24時間テレビのエンディングで必ずかかる曲として有名になっちゃいましたね。

「揺れる想い」「マイフレンド」も有名です。

ヒット曲3 「おどるポンポコリン」B.B.クィーンズ

シングル売上枚数164万枚 第3位

この曲も一気に流行りましたね。

ヒット曲4 「このまま君を奪い去りたり」DEEN

題名を見ただけでメロディーを歌える人も多いと思います。

DEENも織田哲郎のメロディーに合うバンドのひとつです。

ヒット曲5 「夢見る少女じゃいられない」相川七瀬

織田哲郎がプロデュースしたアーティストは多数いますが、一番ハマったのが相川七瀬です。「恋人」はミリオンセラーで相川七瀬の最大のヒット曲。

ヒット曲6 「碧いうさぎ」酒井法子

酒井法子を代表するヒット曲。織田哲郎がプロデュースをせずに作曲する場合、曲を作った後は、本当に任せきりで完成してから曲を聴くようです。

完成した後聴いて、印象に残るほど良くなったと感じた曲と「碧いうさぎ」をご自身で評価していました。

ヒット曲7 「ボクの背中には羽根がある」KinKi Kids

実は、個人的には織田哲郎の曲の中で一番好きな曲が、「ボクの背中には羽根がある」です。

織田哲郎は南米のフォルクローレが好きで、その雰囲気で書いた曲がこの曲です。

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