【都倉俊一】ヒット曲・おすすめ曲・代表曲をサクサクと紹介します!

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昭和歌謡曲のヒットメーカーである都倉俊一さんを紹介いたします。

都倉俊一は、山口百恵、ピンクレディーなどに作曲家として曲を提供し、昭和の歌謡界に大きな功績を残しています。

ヒット曲・代表曲も多数ありますが、私が独断でおすすめする曲も聴いてほしいです。

音楽好き、メロディー好きな人は、都倉俊一のメロディーを知っておいた方がいいと思い、今回の記事を書きました。

2017年から紅白歌合戦の「蛍の光」の指揮をするようになり、すっかり歌謡界の大御所になった都倉俊一の魅力を紹介します。

都倉俊一の経歴

1948年生まれ、今年(2020年)72歳。

4歳からバイオリンを習う。父親が外交官ということもあり、7歳でドイツに渡りピアノも習うようになります。

学生時代は、バンド活動もしており、大学は、日本の学習院大学法学部に入学。

大学生時代にバイト感覚で作曲をするようになりますが、作曲は独学というから驚きです。

大学生時代にフォークソングのヴォーカリストとしてデビューもしていました。

そして同じく学生時代に中山千夏さんに書いた「あなたの心に」がヒットするという、下積み知らずの人が、都倉俊一です。

モリタブ
作曲家を目指している人は、羨ましいでしょうね。

大学卒業後もほとんど迷うことなく作曲家の道へ。

それでもプロとしてやっていくには、独学では難しいと思いアメリカに勉強に行きました。

都倉俊一の代表曲は、リズム感があってキャッチ―なメロディーというイメージですが、意外にも本人はバラードや美しい曲を作るのが好きだとか。

当然、バラードでも素敵な曲を書いていますよね。

作曲家都倉俊一と作詞家阿久悠

そして、何と言っても紹介したいのは作詞家阿久悠の存在。

伝説のアイドルグループ、ピンクレディーの楽曲は、ほとんど都倉俊一と阿久悠で作っています。

「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」などの曲名について「なぜペッパーなの?」「渚にいるシンドバッドって何?」という疑問は二人の間には存在しないとか。

二人の曲作りは感覚でやっているので、曲名について記者に質問されても答えられなかったというエピソードもあります。

都倉俊一の野球応援ソング

私の息子は野球をやっていますが、野球の応援ソングとして都倉俊一の曲はよく使われていました。

高校生になるとブラスバンドで演奏してくれますが、少年野球の場合、小学生自身がベンチで歌って応援しています。

子供達がアカペラで応援する文化が少年野球には根付いているんです。いつまでもこのメロディーは受け継がれるはずです。

野球の応援ソング

「狙いうち」

「サウスポー」

数々の功績を残した都倉俊一ですが、この2曲が歌い継がるということは、大きな功績です。

その後は、しばらくミュージカルの魅力にハマりミュージカル曲を作っている時期もありました。

2010年から2016年まで日本音楽著作権協会理事も務めています。

2017年よりNHK紅白歌合戦の「蛍の光」の指揮者に就任しています。

都倉俊一の代表曲 ピンクレディー「ペッパー警部」

この曲以前にもヒット曲は既にあるのですが、衝撃的なデビューで一躍人気が出たのがこの曲「ペッパー警部」。

ピンクレディーは、今までの音楽シーンでは初めてとなる大胆な踊りが特徴ですが、特に

「ペッパー警部」ではピンクレディーの二人が両足をがに股に開く斬新な踊りが話題になりました。

ペッパー警部以前にはこのような振りはなかったんですね。

ピンクレディーの名前の由来は、都倉俊一がカクテルのピンク・レディーから命名しています。

カクテルのピンク・レディーは、ドライジンとグレナデン・シロップと卵白で作るピンクのカクテルのこと。

山口百恵 ひと夏の経験

山口百恵のデビューから中期までの曲を書いていたのは、都倉俊一です。

山口百恵というと後半は、宇崎竜童のイメージがあるかもしれんが、「としごろ」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」など前半のヒット曲は、都倉俊一です。

当時は、新人アイドルに楽曲を提供し歌のレッスンもしていた都倉俊一ですが、その指導は厳しく、ほとんどのアイドルが涙を流したと言われていますが、山口百恵だけは泣かなかったというエピソードもあります。

ペドロ&カプリシャス「五番街のマリーへ」

「五番街のマリーへ」は、都倉俊一らしい楽曲のひとつです。

リズム感ある曲よりバラードの方が好きと言っていた都倉俊一ですので、この曲はご本人も手ごたえがあったのではないかと想像します。

この曲は、日本のメロディーではないというか、国籍不明のメロディーが都倉俊一らしいです。

ボーカル・高橋まり(現:髙橋真梨子)の声にピッタリですね。

「ジョニーへの伝言」も名曲です。

フィンガー5「個人授業」

フィンガー5を1973年にブレイクさせた曲が、「個人授業」。

ノリノリの曲でヒットメーカー都倉俊一のお得意パターン。

山本リンダ「狙いうち」

既にヒット曲を連発していた山本リンダに1973年に書いた曲が、「狙いうち」。

高校野球の応援ソングとしてすっかり定着しています。

少年野球では、少年達がベンチで声をそろえて「狙いうち」を歌って味方選手を応援しています。

♪打てよ、打てよ、打て打てよ~、打てよ、打てよ、打て打てよ~

♪打てよ、打てよ、打て打てよ~、打てよ、打てよ、打て打てよ~

♪お前が打たなきゃ誰が打つ、かっ飛ばせ―○○!

郷ひろみ「若さのカタルシス」

郷ひろみの曲では他に「バイブレーション」「ハリウッド・スキャンダル」も有名です。

どの曲も日本を感じさせないメロディーですね。

野球応援ソング「サウスポー」

最後に野球応援ソングとして定着しているピンクレディーの「サウスポー」です。

都倉俊一 オフィシャルホームページ

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