サミー・デイヴィスJr.ほど、エンターテインメントという言葉が似あうミュージシャンはいません。
この記事では、サミー・デイヴィスJr.の功績とともに彼の魅力・かっこよさを分かりやすく紹介します。
歌、タップダンス、楽器、お芝居、ものまね、トークなどどれをとっても超一流のサミー・デイヴィスJr.の魅力をどうぞ!
目次
サミー・デイヴィスJr.の経歴
サミー・デイヴィスJr.は、1925年12月8日にニューヨーク州ハーレムでアフリカ系アメリカ人の父とプエルトリコ系ユダヤ人の母との間に生まれました。
あのマイルス・デイヴィスのひとつ上、日本でも有名なポール・モーリアと同学年です。
幼少期から歌やダンスを習い舞台の経験もありました。
そして19歳の時、第二次世界大戦に徴兵されて、兵士向けのショーを行う慰問部隊に配属されます。
除隊後にショービジネスの世界に入り頭角を現しますが、28歳の時、交通事故に会い左目を失明することになります。
いくつか眼帯をした写真を見たことがありますが、その後は義眼をしているので左目を失明していることは、言われないと分からないですね。
1954年(29歳の年)初めてレコードをリリース。
1956年(31歳の年)ミュージカル「ミスター・ワンダフル」で主演。
1957年(32歳の年)映画「ポーギーとベス」でハリウッド進出。
1960年(35歳の年)映画「オーシャンと11人の仲間」に当時大スターだったフランク・シナトラらと共演。
「オーシャンと11人の仲間」は、2001年にジョージ・クルーニー、ブラッド・ピットなどの出演で公開され、シリーズ化されていますね。その元の「オーシャンと11人の仲間」にサミー・デイヴィスJr.は出演しています。
また、フランク・シナトラとは生涯を通じ懇意にしており、シナトラファミリーに入ってラスベガスを中心にツアーを回っていました。
イタリア系移民の子であるフランク・シナトラは、サミー・デイヴィスJr.のセンスと人柄を早くから感じていたようです。
全てのジャンルで超一流のサミー・デイヴィスJr.ですが、私が是非紹介したいのは、彼のタップダンスとステージトークです。
タップダンスは、タップダンサーとしてもレジェンドとして名前を連ねるほどのテクニックです。それに性格から来ているのだと思いますが、ダンスに茶目っ気があるんですね。
1963年(38歳の年)初来日。
1973年(48歳の年)サントリーホワイトのテレビCM出演。
サントリーホワイトのCMは、とても有名で日本での年配の人の知名度はかなり高いです。
また、ステージの上では自分の低い鼻を「殴られ何度も折られて、上を向かなくなったよ。」とジョークを言うなど、かっこを付けないかっこよさがあります。
サミー・デイヴィスJr.の有名なCM
サミー・デイヴィスJr.を紹介する時にサントリーホワイトのCMは欠かせません。そのくらいインパクトのあるCMです。
ちなみにこのCMは、カメラは固定でサミー・デイヴィスJr.が一人で「コンコンチコン、コンコンコンチコン」と言うCMなので、ほとんど彼のパフォーマンスのCMなんです。
そのCMがカンヌ国際広告際のグランプリを取っています。
サミー・デイヴィスJr.の名曲 「Mr.ボー・ジョージャングルス」
サミー・デイヴィスJr.の有名な1曲です。リズム感抜群で楽しいステージが得意な彼の有名な1曲が、哀愁漂う「Mr.ボー・ジョージャングルス」というのも面白いところです。
サミー・デイヴィスJr.のタップダンス
超一流のタップダンサー達とのコラボです。
サミー・デイヴィスJr.は、歌、お芝居もやってのこのタップですからものすごいレベルです。この映像を観ても人柄がよく分かります。
ドリフのようなコント
こんなこともやっています。
何だかドリフあたりがやっていたようなコントですね。
サミー・デイヴィスJr.のパフォ―マンス
この映像は、コントとタップダンスを合わせたショーで個人的には一番好きかも。
タップダンスのクオリティーが高い。
抜群のリズム感 ドラム・ピアノ
何でもできるのですね。
おそらくドラムもピアノもほとんど練習せずにやっていますね。
リズム感抜群とはこのことです。
サミー・デイヴィスJr. 60th Birthday ★ Michael Jackson
サミー・デイヴィスJr.の60歳の誕生日の映像です。
ゲストの顔ぶれがすごいのですが、そこにマイケル・ジャクソン登場です。
マイケル・ジャクソンが踊らずに最後にポーズだけ決めたところは、サミー・デイヴィスJr.に対する敬意を感じます。