松田聖子のジャズの評価は、どんな感じでしょうか?
私が調べたところ概ね高評価ですが、一部の人から酷評する意見もありました。
私は、大の松田聖子ファンですが、それ以上にジャズが好きで聴いたり演奏したりしていました。
そこでジャズ好きの私から松田聖子のジャズの評価について思っていることを書いてみました。
目次
松田聖子のジャズの評価は?
松田聖子のジャズの評価について記事を書いています。
松田聖子のジャズは、最高です。
私は、ジャズ好きで20代の頃から他の音楽も聴きながらジャズも聴いてきて、演奏したり歌ったりしてきました。
もちろん一部の人ですが、ジャズ界隈には勘違いしている人がいると思っていました。
勘違いしている人は、「ジャズが最高の音楽」とジャズを特別な音楽と考えている人がいます。
松田聖子のジャズを酷評する人は、そんな少し勘違いしている人が、書いているように思います。
松田聖子のジャズは、ジャズじゃない
「松田聖子のジャズは、ジャズじゃない」と言う人がいます。
ジャズは、そもそも何でもありの自由な音楽のはずです。シャンソンや映画音楽を取り入れてジャズといい、ボサノバもジャズといい、ラテン・ジャズ、ジャズ・ロックなど何でもジャズと言うのが、ジャズの特徴ではないかと思います。
ジャズは、そんなに大きなカテゴリーなのに、松田聖子が歌うと「ジャズじゃない」と。
おそらく「ジャズじゃない」という人が考えるジャズは、ものすごく限定されたモダン・ジャズのことではないかと思います。
なので、モダン・ジャズを歌わないのであれば「それは私がいつも聴いているジャズじゃない」と言ってしまうのでは。
ジャズは、もっと大きなジャンルの音楽なので、松田聖子がジャズですと言って歌った歌は、ジャズで間違いないないのです。
ジャズを歌っても松田聖子になっている
「ジャズを歌っても松田聖子になっている」という意見。
シングルを1500万枚ほど売り上げている松田聖子なら、何を歌っても自分の歌にして松田聖子の色を出せるのは、当然だと思っています。
これは、特に松田聖子に限ったことではなくて一時代を作る流行歌手は、個性的な人ばかりです。
逆に言うと個性がなければ流行歌手にはなれないと断言できます。
どれだけオリジナリティーを持っているかの勝負です。
「ジャズではなく松田聖子になっている」という意見。
松田聖子ほどの歌手であれば、これはある意味当たり前。なぜ松田聖子が、ジャズの歌い方に自分の歌い方を合わせにいかないといけないのか?
それが理解できません。
ジャズ好きで勘違いしている人は、自分達が愛するジャズじゃないとジャズとは認めないという頑固な考え方なので、つい「ジャズを歌っても松田聖子になっている」という発言が出てしまうのだろうと思います。
松田聖子のジャズアルバムは、選曲が残念
「松田聖子のジャズアルバムは、選曲が残念」という意見がありました。
何度でも言います。
ジャズは、幅の広い音楽ジャンルです。
あなたがいつも聴いている音楽に、なぜ松田聖子が合わせにいかなきゃいけないのか?
ジャズは何でもありの自由な音楽なので選曲だって自由でいいのです。
せっかく新しい政界に挑戦しているのに、「よくジャズを歌ってくれました」と歓迎してくれてもいいのでは、と個人的に思っています。
勘違いしているジャズ好きな人
私はジャズが好きで素人ではありますが、ジャズは長年聴いてきましたし、自分でも演奏する方で周りにはジャズを好きな人が多くいます。
私の周りの人は、いい人なのですが、街に出るとごくたまに勘違いした人がいます。
一番多く感じるのは、「ジャズは最高の音楽」という勘違いです。
ジャズのテクニックは音楽ジャンルの中でも最高で、それを即興演奏するミューシャンはすごい。しかも、それを聴いている私も素敵という勘違いです。
私は、ジャズが好きなんです。
ただ、特別にジャズがすごい音楽でもないと思います。
ジャズの世界には時々勘違いしている人がいるので、そんな人も世の中にはいるものだと理解すると松田聖子のジャズを酷評している人がいても簡単に受け流すことができるのではないかと思います。
松田聖子のジャズの評価は! まとめ
松田聖子のジャズの評価について、疑問に思ったことを書いてみました。
松田聖子のジャズは、ほとんどの人からは高評価なのですが、一部の人からの酷評は、この記事のように一部の勘違いしている人からの意見ではないかと想像しています。
音楽の評価はひとそれぞれなので、松田聖子の歌を嫌いという人もいると思うので、その感情まで否定する気持ちは全くありません。